つながり 

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つながり続け
つなげ続け
立ち続け

自分語りの占い師 

昔の話をする。
あまりにも昔のことなので、
それが何年頃のことであったか、
正確には覚えていない。
おそらくは昭和末期か、あるいは平成初頭、
つまり1980年代後半~90年代前半。
30年以上前の話だ。

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当時の私は、
どのような職業で収入を得るか、
途方に暮れている時期であった。

思い描いている様々な職業のうちの一つに、
「占い師」という職業があった。

自分は内面を掘り下げることに向いているようだし、
しょっちゅう自分でも占いをやっていたし、
そのせいで他人に占いを頼まれることも多かったので、
しっかり勉強をすれば、
プロの占い師になれるのではないか、
そんな風に思っていた。

占い師という職業に興味があったことと、
自分がどうやって生きていったらいいかわからなかったことが相まって、
私はかなり頻繁に、街の様々な占い師に、見てもらっていた。

なるほど、この種類の占い師はこの病気を当てるのか、
なるほど、この占いだとこの悩みはこう出るのだな、
この占い師はアドバイスが親身、
この占い師は商売優先だな、
などと吟味しながら、自分の行き詰った人生について、
様々な占い師からアドバイスをもらっていた。

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いつも通る場所に、いつもは見かけない占い師がテーブルを出していた。
30後半~40代前半に見える、ひげを蓄えた男性だった。

よし、今日はこの人に占ってもらおう、と思って席に座った。

手相を見てもらったことは覚えている。
生年月日も聞かれたかもしれない。
(ということは四柱推命も入っていたか)
あとは名前の画数やら何やら。

細かい経緯は覚えていない。
ただただこちらが生きてきた人生、
どんな目に遭ってきたか、
今どういう状況にあるか、
ひたすらに、誠実に、伝える。
(当時から既に、占い師をからかうために占いを依頼する輩は存在したが、私はもちろんそんなことはしない。)

「そうねや。あんたはダメなねや。」

ん?と思った。
こんな風に生まれて、こんな風に育って、
こんな目に遭って、今まで、こんな風にダメだったんです、
そう誠実に述懐する私の言葉を、
その占い師は、だんだんと、肯定し始めた。

当時の常識としても、
占い師が顧客を全否定することは、
非常に稀であった。
生まれや、育ちや、境遇や、病気や、性格や、
そういったものを、「ダメだ」と断じることは、
殆どなかったのである。
(これは顧客を罵倒・中傷する占い師がテレビで炎上商法に駆り出されるよりもずっと以前の話。)

そう、あんたはそんな風に弱く生まれたねや、
そう、あんたはそんなふうにいじめられんねや、


そういった言葉を聞いていて、

(これはどういうことだろう。
私を叱って奮起させようとしてるのか?
いや、そうは見えない。
では私を果てしなく弱らせて、
「それを治すためにはこれだ」と、
何か高額なものを売りつけようとしているのか?
そうだよな、これはきっとなんか売りつけようとしてるんだよな、
そうじゃなきゃこういうのは考えられない‥)

―そんな風に話を聞いていた。

最終的に、

「あんたはな、そんなふうにな、
あっちでダメでこっちでダメで、
ああ、ここもダメだった、ってなってな、
ずっとそうやってってな、
最後に、
ああ、俺の人生こんなもんだった、
って死んでいくねや。」


と言って、占い師は話を終えた。

耳を疑って、
2~3度聞き返したような気もするが、
記憶が定かではない。

お前はやりたいことができず、
向いている仕事も見つけられず、
最後に、ああ、俺の人生こんなもんだった、
と思って死んでいく。

それが、最終結論だった。
そこから話を逆転させて、
何かを売ろう、という様子も見えなかったし、
こちらを虐げる悦びを感じている気配もなかった。

数秒待って、
「‥‥そうですか‥あのー、これでおいくらに‥」
と聞くと、

「いやぁこんな結果になって残念ですが、五千円で。」

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なけなしの五千円を払った帰り道も、
怒りというより困惑のほうが大きかった。

怒りの感情もあるにはあったが、
それまでの人生で、
もっともっとひどい言葉をいくらでも言われてきたので、
それほど烈しいものではなかった。

ただ、心を開いた人間、
しかも依頼主である人間に対して、
相談に乗っている占い師が、
あそこまでひどい言葉を断言して、
弱者を虐げる悦びを感じている様子もなく、
霊感商法や詐欺でもなかった、ということが、
いつまで経っても、飲み込めなかった。

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そうして、30年以上が過ぎた。

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数日前、家事の合間にふと、

「あっちでダメでこっちでダメで、
ああ、ここもダメだった、ってなってな、
ずっとそうやってな、
最後に、
ああ、俺の人生こんなもんだった、
って死んでいくねや。」


という言葉、その口調
そしてその時の占い師の表情をぼんやりと思い出した瞬間、
突如、私は、非常な驚きをもって、理解した。

あの言葉は、自分だ!

あの言葉は、占い師自身の、自分語りだったのだ!

もちろん、物的証拠はない。
この確信、この理解は、
私の記憶と同じぐらい、客観性が乏しい。
証明してみろと言われて、証明できるものでもない。
私の理解は、人生経験に基づいているとしか言いようがない。

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私が愕然としたのは、
「あの言葉は自分語りだ」と理解するまでに、
一体どれほどの人生経験が必要であったか、ということ。

どうしても自分が理解できないことを、
相手が何もわかっていないのだ、と言うとき、
人間はどういう表情をするか。
どうしても正視できない自分の特性が視界に入りそうになって、
相手こそがその特性を持っているのだ、と思い込もうとするとき、
人間はどういう表情をするか。
自分と向き合うことができない人間が、
お前は自分と向き合っていない、と言うとき、
人間はどういう表情をするのか。

これを心理学で「投影」というのか、「防衛機制」というのか、
別の用語があるのか、わからない。

この「理解」だって、
お前がそう思い込むことでダメな自分を守りたいんだろ、
などと言われたら、客観的な反論要素は、ない。

この『主客の入れ替え』をやるときの表情をなんと表現したらいいのかも、よくわからない。
安易に「自己欺瞞」などと名付けても、
あの表情を再現できないだろうし、
あの表情を演じている映画も、記憶にはない。
何とかあの表情を言語化できないだろうか、と思った挙句、
どうにか、かろうじて、
現実をトレースしている言葉にたどり着いたが、

「小規模な威厳に満ち足りて、
非常に僅かな哀しみに似た気配を帯びた、無関心の表情。」


―これでは他人に伝わるかどうか、心もとない。
数年経ったら、もっといい言葉が見つかるかもしれない。

そういう表情をたくさん見て、
記憶の中で照合していくのに、
どれほどの年月がかかったことか。

大量の経験によって、辛うじて、
おぼろげに姿を現すもの。
それが他人に伝わる智慧かどうかも、よくわからない。
心理学や仏教で「無記」とされていることと、
関係があるだろうか。

こういうことを知的に理解したところで、
「そうだ、分かったぞ、
分かってないのはお前だ、
自分と向き合ってないのはお前だ、
人に迷惑をかけているのはお前だ、
人を変えることはできないんだよ自分が変わるしかないんだ!」
他人に向かって言うようになってはどうにもならないし、

「私にはわからないことがある」、
と考える他人の誠実さに付け込んで世の中を渡り歩いている人だっているし、
単純に「自罰と他罰」「自責と他責」で分類できるものとも思えない。

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大量の人生経験から抽出された、あの表情。
それを数十年かけて読み解いて、
ある日突然降り注いだ、理解。

また一つ、大人になった。

次回ライブ4/28 

舟沢虫雄の次回ライブは4/28(日)です。
詳細後日。

記憶という他者 

自分の記憶 というより
記憶そのものが 主体性を持った
他者のように思えてくることがある

記憶という他者と 向き合う

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「元型ドローンVol.25」ダイジェスト  

電子持続音ライブ「元型ドローンVol.25」のダイジェストを、
Youtubeにアップしました。



追記/補足を読む