リハーサル(研鑽) 

いつもは本番1か月前からリハを始めるのですが、
最近多忙のため、多忙であっても納得のいく音を出すために、
大事を取って、今回は本番6週間前からリハに入りました。

イメージを回路に落とし込み、
回路からイメージを引き出す。
その積み重ねです。

ご予約はformzuをご利用くださいませ。

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(↑リハ風景)
追記/補足を読む

自分語りの占い師 

昔の話をする。
あまりにも昔のことなので、
それが何年頃のことであったか、
正確には覚えていない。
おそらくは昭和末期か、あるいは平成初頭、
つまり1980年代後半~90年代前半。
30年以上前の話だ。

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当時の私は、
どのような職業で収入を得るか、
途方に暮れている時期であった。

思い描いている様々な職業のうちの一つに、
「占い師」という職業があった。

自分は内面を掘り下げることに向いているようだし、
しょっちゅう自分でも占いをやっていたし、
そのせいで他人に占いを頼まれることも多かったので、
しっかり勉強をすれば、
プロの占い師になれるのではないか、
そんな風に思っていた。

占い師という職業に興味があったことと、
自分がどうやって生きていったらいいかわからなかったことが相まって、
私はかなり頻繁に、街の様々な占い師に、見てもらっていた。

なるほど、この種類の占い師はこの病気を当てるのか、
なるほど、この占いだとこの悩みはこう出るのだな、
この占い師はアドバイスが親身、
この占い師は商売優先だな、
などと吟味しながら、自分の行き詰った人生について、
様々な占い師からアドバイスをもらっていた。

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いつも通る場所に、いつもは見かけない占い師がテーブルを出していた。
30後半~40代前半に見える、ひげを蓄えた男性だった。

よし、今日はこの人に占ってもらおう、と思って席に座った。

手相を見てもらったことは覚えている。
生年月日も聞かれたかもしれない。
(ということは四柱推命も入っていたか)
あとは名前の画数やら何やら。

細かい経緯は覚えていない。
ただただこちらが生きてきた人生、
どんな目に遭ってきたか、
今どういう状況にあるか、
ひたすらに、誠実に、伝える。
(当時から既に、占い師をからかうために占いを依頼する輩は存在したが、私はもちろんそんなことはしない。)

「そうねや。あんたはダメなねや。」

ん?と思った。
こんな風に生まれて、こんな風に育って、
こんな目に遭って、今まで、こんな風にダメだったんです、
そう誠実に述懐する私の言葉を、
その占い師は、だんだんと、肯定し始めた。

当時の常識としても、
占い師が顧客を全否定することは、
非常に稀であった。
生まれや、育ちや、境遇や、病気や、性格や、
そういったものを、「ダメだ」と断じることは、
殆どなかったのである。
(これは顧客を罵倒・中傷する占い師がテレビで炎上商法に駆り出されるよりもずっと以前の話。)

そう、あんたはそんな風に弱く生まれたねや、
そう、あんたはそんなふうにいじめられんねや、


そういった言葉を聞いていて、

(これはどういうことだろう。
私を叱って奮起させようとしてるのか?
いや、そうは見えない。
では私を果てしなく弱らせて、
「それを治すためにはこれだ」と、
何か高額なものを売りつけようとしているのか?
そうだよな、これはきっとなんか売りつけようとしてるんだよな、
そうじゃなきゃこういうのは考えられない‥)

―そんな風に話を聞いていた。

最終的に、

「あんたはな、そんなふうにな、
あっちでダメでこっちでダメで、
ああ、ここもダメだった、ってなってな、
ずっとそうやってってな、
最後に、
ああ、俺の人生こんなもんだった、
って死んでいくねや。」


と言って、占い師は話を終えた。

耳を疑って、
2~3度聞き返したような気もするが、
記憶が定かではない。

お前はやりたいことができず、
向いている仕事も見つけられず、
最後に、ああ、俺の人生こんなもんだった、
と思って死んでいく。

それが、最終結論だった。
そこから話を逆転させて、
何かを売ろう、という様子も見えなかったし、
こちらを虐げる悦びを感じている気配もなかった。

数秒待って、
「‥‥そうですか‥あのー、これでおいくらに‥」
と聞くと、

「いやぁこんな結果になって残念ですが、五千円で。」

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なけなしの五千円を払った帰り道も、
怒りというより困惑のほうが大きかった。

怒りの感情もあるにはあったが、
それまでの人生で、
もっともっとひどい言葉をいくらでも言われてきたので、
それほど烈しいものではなかった。

ただ、心を開いた人間、
しかも依頼主である人間に対して、
相談に乗っている占い師が、
あそこまでひどい言葉を断言して、
弱者を虐げる悦びを感じている様子もなく、
霊感商法や詐欺でもなかった、ということが、
いつまで経っても、飲み込めなかった。

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そうして、30年以上が過ぎた。

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数日前、家事の合間にふと、

「あっちでダメでこっちでダメで、
ああ、ここもダメだった、ってなってな、
ずっとそうやってな、
最後に、
ああ、俺の人生こんなもんだった、
って死んでいくねや。」


という言葉、その口調
そしてその時の占い師の表情をぼんやりと思い出した瞬間、
突如、私は、非常な驚きをもって、理解した。

あの言葉は、自分だ!

あの言葉は、占い師自身の、自分語りだったのだ!

もちろん、物的証拠はない。
この確信、この理解は、
私の記憶と同じぐらい、客観性が乏しい。
証明してみろと言われて、証明できるものでもない。
私の理解は、人生経験に基づいているとしか言いようがない。

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私が愕然としたのは、
「あの言葉は自分語りだ」と理解するまでに、
一体どれほどの人生経験が必要であったか、ということ。

どうしても自分が理解できないことを、
相手が何もわかっていないのだ、と言うとき、
人間はどういう表情をするか。
どうしても正視できない自分の特性が視界に入りそうになって、
相手こそがその特性を持っているのだ、と思い込もうとするとき、
人間はどういう表情をするか。
自分と向き合うことができない人間が、
お前は自分と向き合っていない、と言うとき、
人間はどういう表情をするのか。

これを心理学で「投影」というのか、「防衛機制」というのか、
別の用語があるのか、わからない。

この「理解」だって、
お前がそう思い込むことでダメな自分を守りたいんだろ、
などと言われたら、客観的な反論要素は、ない。

この『主客の入れ替え』をやるときの表情をなんと表現したらいいのかも、よくわからない。
安易に「自己欺瞞」などと名付けても、
あの表情を再現できないだろうし、
あの表情を演じている映画も、記憶にはない。
何とかあの表情を言語化できないだろうか、と考えた挙句、
どうにか、かろうじて、
現実をトレースしている言葉にたどり着いたが、

「小規模な威厳に満ち足りて、
非常に僅かな哀しみに似た気配を帯びた、無関心の表情。」


―これでは他人に伝わるかどうか、心もとない。
数年経ったら、もっといい言葉が見つかるかもしれない。

そういう表情をたくさん見て、
記憶の中で照合していくのに、
どれほどの年月がかかったことか。

大量の経験によって、辛うじて、
おぼろげに姿を現すもの。
それが他人に伝わる智慧かどうかも、よくわからない。
心理学や仏教で「無記」とされていることと、
関係があるだろうか。

こういうことを知的に理解したところで、
「そうだ、分かったぞ、
分かってないのはお前だ、
自分と向き合ってないのはお前だ、
人に迷惑をかけているのはお前だ、
人を変えることはできないんだよ自分が変わるしかないんだ!」
他人に向かって言うようになってはどうにもならないし、

「私にはわからないことがある」、
と考える他人の誠実さに付け込んで世の中を渡り歩いている人だっているし、
単純に「自罰と他罰」「自責と他責」で分類できるものとも思えない。

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大量の人生経験から抽出された、あの表情。
それを数十年かけて読み解いて、
ある日突然降り注いだ、理解。

また一つ、大人になった。

リハーサル(研鑽) 

様々な回路を繋ぎ合わせることで、
おぼろげだったイメージを徐々に明確にしていったり、
オーダーメイドで作っていただいたシンセを修理していただいたり、
自分が感染症で人前に出られないなんてことの無いよう、
インフルエンザワクチンも打ったりして、
日々ライブに向けて研鑽しております。

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追記/補足を読む

ライブ準備中 

あまりにも多くの出来事、
あまりにも多くの訃報に戸惑いながら、
今出すべき音を探っています。

困っても一本道。
迷っても一本道。

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------------ 以下告知 ------------
舟沢虫雄 (Mushio FUNAZWA)
電子持続音ライブ
「元型ドローンVol.24」

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2023年520日(土)18:00 Start
予約¥1500 当日¥1800
(なるべくご予約下さい。ご予約で定員に達した場合、当日券の発行ができなくなります)
会場:東京 六本木 ストライプハウスギャラリー
東京都港区六本木5-10-33-3F [地図]

ご予約はformz

(来る予定のない “念のため予約” 、ご遠慮ください)

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電子持続音によるミニライブです。
演奏時間は50~60分程度を予定しており、
黙々とした、“静かな場”の生成を望んでおります。
よろしければ是非お越し下さいませ。

段ボールを食べる夢 

最近、夢の中で、私は時折、
段ボールをかじっている。
味はない。だが、熱心に食べている。

私は、ダンボールを食べながら、
自分がダンボールを食べているということが、
人に知られるのではないか、
と周囲を気にしていて、
人に気づかれないように、
こそこそと、段ボールを食べている。

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愚にもつかない夢にも思えるが、
印象に強く残ったので、
「自由連想法」で自己分析してみる。

自分にとって段ボールとは、と連想していく。

連想していくと、私にとって段ボールとは、

・外界との接点、つながり(ネット通販)
・貨幣価値が極めて低い

などといったイメージであることがわかる。

つまり私は、

「貨幣価値の極めて低い、外界との接点・つながりを、とても大切な養分だと思って摂取している。そのことを、人に知られたくない。」

そう思って、周囲を気にしながら、人に見られないように、
夢の中で段ボールを食べている、ということになる。

まあ、そうだろうな、と自分で腑に落ちる。

お金が欲しくてやってるわけじゃないだなんて、
何らかのつながりのほうが重要な栄養だなんて、
知られては、困るんだ。
ライブだって、音源だって、収益がなくっちゃ。

何十年やっても慣れることのない確定申告をどうにか済ませ、
会いたい人にも会わず、リモートで働き、
日用品をネット通販で手に入れ、
ひとりぼっちで天井を見上げ、

そうだよな、収益がなくっちゃこれが全部終わるんだもんな、
むしろ収益こそが社会とのつながりだと思わないとな、
そう思うからこそ、
コソコソと段ボールを夢の中でかじるんだよな、

そんな風に思って、今日も眠りに沈んでいく。