孤化 

切断する喜びや
切断される喜びは

長く生きていればこそ

忘却と根幹 

魂に傷が入り、
長い年月をかけて治癒し、
遂には忘れ、
さらに長い年月が過ぎた後に、

唐突にそれは、
治ったというより、
さらに深い場所に移行していたのだ、
と気づくことがある。

血肉になるよりさらに深く、
骨にまで沁みこんで、自分の根幹と一体化しており、
もう、自分と切り離すことはできなくなっている。

考えてみれば、それは傷に限ったことではない。
言葉だって、歩き方だって、
覚えた時のことは、覚えていない。

忘れるということは、しばしば、
自分の根幹になる、ということであるらしい。

最近、忘れていたことを骨から思い出すことが増え、
それとともに、身近なことを忘れてしまうことが増えた。

忘れてしまうものごとと、
年を取って顕れる根幹と。

老化と屹立 



棄てられる前に 或いは
棄てられた後に 使われている
超えられないものを 見上げる

それが 対峙するものではなく
むしろ 自分の姿のように 思えてくる

そんな風に 年を取る

内側にならない外側 



あらゆる知識と
あらゆる経験の 外側
その外側が 押し寄せてくる
その外側の 殆どが 内側には ならない
内側にならない外側が
私たちを 孤独にしていく

光を浴びるべきもの 



泥の中から 蓮が咲き
その花を 蓮の葉が 隠してしまう
そのことを 蓮の花は
さほど 気に留めていないように見える

人間はどうか