ブライアン・イーノ展 「77 MILLION Paintings」

時間を作って、心身にムチ打って、行ってきました。
イーノ展。 「77 MILLION Paintings」。
ひとつのモニターにつき、
イーノが描いたり撮ったりした画像が、
4つまでランダムにレイヤーされるシステムらしい。
非常にゆっくりと変化する絵画の展覧会の様相。
大小様々なモニタースクリーンが絵画のように並ぶ。
モニターが祭壇のように配置された部屋もある。
この20余年の集大成と言い、
ここ数年のCPUでやっと可能になったと言うだけの事はある。
途方もなく美しい。
私は、人間が作ったものの中で、
こんな美しいものを見たことがほとんどない。
イーノ本人もソフトのライナーで僅かに仄めかしていたが、
20世紀の美術を全部包括しているように見えるのだ。
じっと見つめる。画面は僅かづつ変化していく。
マレーヴィチ風だったものがやがてポラック風になり、
中期のマーク・ロスコみたいになって、
ロシア・アヴァンギャルドのポスターの様になり、
マティスの版画みたいになって、
カンディンスキーっぽくなり、
ウォーホルみたいになる。
(オリジナルという概念や定義を軽視するやり方は、
イーノファンにはおなじみだろう)
―あれじゃ、2週間くらい寝泊りして見てても飽きないだろう。
だが。
生涯屈指の美しいものを見たというのに、
どこか納得していない自分がいる。
もちろん、イーノ独自の「生成」という概念には、
私はとっくに“寛容さ”で対処している。
(私は一度たりとも同じ色形の雲を見たことはない。)
色々考えた末、仮の結論を出した。
芸術は、ただ美しいだけでは不十分なんだ。
美しい以上の“何か”がどうしても必要なんだ。
最近の現代美術の、
「醜きゃいいと思ってないか、
キモけりゃいいと思ってないか、
病的ならそれでいいと思ってないか
ポップじゃなきゃ意味無いと思ってないか」
といいたくなるような傾向で、
すこしアタマがヘンになってるのかもしれない。
この程度の仮結論を出すのにすら多くの労力を使った。
私にとって、あくまで私にとってだが、
芸術とは、「美しくあってはならない」ものではなく、
「美しい以上のものでなければならない」
みたいだ。
そして、今回に関しては、「美しい以上の何か」を、
私が感じることが出来なかった、というわけだ‥
‥‥これでも書き過ぎ/言い過ぎ/偉そう過ぎ/独断過ぎですかねぇ‥
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- [2006/03/27 21:07]
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「ベニスに死す」と「ノスタルジア」
タルコフスキーの「ノスタルジア」。
ヴィスコンティの「ベニスに死す」。
一見正反対の、2つの名作。
実は、驚くほど似通った主題の映画だと気付いた。
しかも、どっちの主人公も、人生を愉しむ事を拒否しつつ、
ラストシーンで心臓病で死ぬし。
病気まで似るというのはどういう事だろう。
それでいて、死に方が違いすぎる。
一見正反対の映画が、
実は殆ど同じテーマを扱い、
主人公は殆ど同じ最期を迎えるが、
その殆ど同じ最期は、じつは正反対でもある。
タルコフスキーは1980年、
つまりノスタルジアを作る前に、
『ヴィスコンティ賞』
というのを貰ってるんだそうだ。
没落貴族と、亡命者。
求めたものと、失ったもの。
燦然たる海の夕焼けの世界と、
湯を抜いた汚い温泉場の世界。
‥そして、拒否と受容と、心臓病。
ヴィスコンティの「ベニスに死す」。
一見正反対の、2つの名作。
実は、驚くほど似通った主題の映画だと気付いた。
しかも、どっちの主人公も、人生を愉しむ事を拒否しつつ、
ラストシーンで心臓病で死ぬし。
病気まで似るというのはどういう事だろう。
それでいて、死に方が違いすぎる。
一見正反対の映画が、
実は殆ど同じテーマを扱い、
主人公は殆ど同じ最期を迎えるが、
その殆ど同じ最期は、じつは正反対でもある。
タルコフスキーは1980年、
つまりノスタルジアを作る前に、
『ヴィスコンティ賞』
というのを貰ってるんだそうだ。
没落貴族と、亡命者。
求めたものと、失ったもの。
燦然たる海の夕焼けの世界と、
湯を抜いた汚い温泉場の世界。
‥そして、拒否と受容と、心臓病。
- [2006/03/25 10:09]
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「眠りの淵」 音アーカイブ
公式サイトに、
「眠りの淵 音アーカイブ」を掲載しました。
「眠りの淵 音アーカイブ」を掲載しました。
- [2006/03/21 18:13]
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山海塾-蝉丸DVD
今、山海塾の公演を観にいきますと、ロビーに、
山海塾のメンバーのソロDVDのコーナーができています。
そこで蝉丸さん、岩下徹さんのDVDが売られています。
蝉丸さんのDVDは3種類あって、
・【拈華微笑】
・【御伽草子/月化粧】(2本立て)
・【黒藤院公演:眠りの淵】
です。
これらはソロ公演を記録したDVDですので、
音楽もその場で再生した音を丸ごとマイクで拾ってあるだけですが、
これらのDVDのうち、
「月化粧」と「眠りの淵」の音楽が、舟沢によるものです。
「月化粧」はサントラも出ており、
このリンクをたどれば試聴できますし、取扱い店リストもあります。
「眠りの淵」は曲が分散していて、
「霊機」「蝉丸の為の音楽」「for Butoh Vol,1」所収の曲が
多く使われていますが、
CD化していない音源や廃盤音源なども使用されています。
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山海塾のメンバーのソロDVDのコーナーができています。
そこで蝉丸さん、岩下徹さんのDVDが売られています。
蝉丸さんのDVDは3種類あって、
・【拈華微笑】
・【御伽草子/月化粧】(2本立て)
・【黒藤院公演:眠りの淵】
です。
これらはソロ公演を記録したDVDですので、
音楽もその場で再生した音を丸ごとマイクで拾ってあるだけですが、
これらのDVDのうち、
「月化粧」と「眠りの淵」の音楽が、舟沢によるものです。
「月化粧」はサントラも出ており、
このリンクをたどれば試聴できますし、取扱い店リストもあります。
「眠りの淵」は曲が分散していて、
「霊機」「蝉丸の為の音楽」「for Butoh Vol,1」所収の曲が
多く使われていますが、
CD化していない音源や廃盤音源なども使用されています。
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- [2006/03/18 13:29]
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数と自然と居場所
―ハウアーとイッテンを知る。
色彩にしろ音にしろ、ドイツ民族にとって、
数学的思考構造は生命を損なわない。
むしろ育んでいるふしすらある。
日本民族にとって、数学化、数値化は、
非常に多くの場合、死を意味する。
土地の自然が根本から違うからだ。
ドイツの「生の数」と、日本の「死の数」は、
フォルムがそっくりである。
だから、しばしば謎の交歓を生む。
この奇妙な響き合いは、世界が“デジタル化”してから、
一気に加速した感がある。
注意深く自然を排除したグラフィックや、
緻密なコンピューターエラーを引き起こす音の連なりで、
分かり合ってるような誤解しあってるような、
手に手をとって生きているさまは、
傍から見てて、少しうらやましくもあり、
どことなく哀れでもあり、
なんだか不思議な蜜月だなぁと、見ていて思うのだ。
しかし、「ポスト・エレクトロニカ時代」という言葉を雑誌で目にした。
そろそろこの時期も終わりが近いのかもしれない。
私はと言えば、相変わらずだ。
居場所を探すだけの生涯かもしれない。
―私は、静止したまま、安住の地を求めて流浪しているのだ。
色彩にしろ音にしろ、ドイツ民族にとって、
数学的思考構造は生命を損なわない。
むしろ育んでいるふしすらある。
日本民族にとって、数学化、数値化は、
非常に多くの場合、死を意味する。
土地の自然が根本から違うからだ。
ドイツの「生の数」と、日本の「死の数」は、
フォルムがそっくりである。
だから、しばしば謎の交歓を生む。
この奇妙な響き合いは、世界が“デジタル化”してから、
一気に加速した感がある。
注意深く自然を排除したグラフィックや、
緻密なコンピューターエラーを引き起こす音の連なりで、
分かり合ってるような誤解しあってるような、
手に手をとって生きているさまは、
傍から見てて、少しうらやましくもあり、
どことなく哀れでもあり、
なんだか不思議な蜜月だなぁと、見ていて思うのだ。
しかし、「ポスト・エレクトロニカ時代」という言葉を雑誌で目にした。
そろそろこの時期も終わりが近いのかもしれない。
私はと言えば、相変わらずだ。
居場所を探すだけの生涯かもしれない。
―私は、静止したまま、安住の地を求めて流浪しているのだ。
- [2006/03/17 00:01]
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矮小な自我肥大の話ではなく、
朝。ビルの屋上。
空全体に、自分を浸透させる。
自分が空の下で生きていることを感じ取る。
さて、この状態で一日を過ごせるか否か。
空全体に、自分を浸透させる。
自分が空の下で生きていることを感じ取る。
さて、この状態で一日を過ごせるか否か。
- [2006/03/16 10:15]
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SAシリーズ大体聴いてみた
永年のSO●YのMDR-CDシリーズの愛用者として、
気にしていた新シリーズ、SAシリーズを概ね試聴する機会に恵まれた。
びっくりした。
思わずヘッドホンをはずし、
「どっかにローカットスイッチでもあるのか?」と探してしまった。
もはやCD3000は中古でもプレミア化しつつあるというし、
「SAはCDの後継と思わないほうがいい、高域が全然違う」とは、
ほうぼうの掲示板に書かれていたが、確かに別物だ。
高域が強いというより、低域が非常に薄い。
同じソ●ーのZシリーズや、一部のA●Gみたいに、
低音がヘンに膨らんでも聴いてて何をどうEQしていいか判んなくなるが、
SAは、あれはもっといかん。あれじゃ低域なんにも判らん。
‥‥ウチに戻って、
「あんなはずないよなー‥店側でなんかしてたんかなー‥」
と首をかしげる舟沢でありました。
どっかで別の条件下で聴ける機会があったら聴きなおします‥
気にしていた新シリーズ、SAシリーズを概ね試聴する機会に恵まれた。
びっくりした。
思わずヘッドホンをはずし、
「どっかにローカットスイッチでもあるのか?」と探してしまった。
もはやCD3000は中古でもプレミア化しつつあるというし、
「SAはCDの後継と思わないほうがいい、高域が全然違う」とは、
ほうぼうの掲示板に書かれていたが、確かに別物だ。
高域が強いというより、低域が非常に薄い。
同じソ●ーのZシリーズや、一部のA●Gみたいに、
低音がヘンに膨らんでも聴いてて何をどうEQしていいか判んなくなるが、
SAは、あれはもっといかん。あれじゃ低域なんにも判らん。
‥‥ウチに戻って、
「あんなはずないよなー‥店側でなんかしてたんかなー‥」
と首をかしげる舟沢でありました。
どっかで別の条件下で聴ける機会があったら聴きなおします‥
- [2006/03/13 22:40]
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協和音と暴力
先のものがあとになり、あとのものが先になる。
もう協和音を恐れることはないのだということ、
協和音というのは、もはや目標ですらありうるということ、
しかも、たった今から、たった一人でも始められる、
人類全体の目標でありうるということを、
きちんと文章にしようと思うんだけど、
協和音が生み出す莫大な暴力と絡めて書かなければ、
まったく意味がないとも思う。
これがあまりにも難しくて、書けないまま日々が過ぎていく。
もう協和音を恐れることはないのだということ、
協和音というのは、もはや目標ですらありうるということ、
しかも、たった今から、たった一人でも始められる、
人類全体の目標でありうるということを、
きちんと文章にしようと思うんだけど、
協和音が生み出す莫大な暴力と絡めて書かなければ、
まったく意味がないとも思う。
これがあまりにも難しくて、書けないまま日々が過ぎていく。
- [2006/03/09 10:39]
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なぜガブリエル
神秘学の研鑽を積んだ人に、時折、それとなく、
「あなたはガブリエル的な人間だ」
と言われることがある。
今までに2~3人に言われた。
考えてみれば、私にとっては、
インスピレーションが先。結果が先。
つまり、思いもよらない結果を望まない。
だから少なくとも、あまり“ミカエル的な人間”ではない気がする。
空虚5度も、“空虚”に聴こえないところがあるし。
だが私は、「時代の敵」だろうか?
私の音楽は、「あまりに民族的」だろうか?
‥まったく自覚がない。
民族霊/時代霊の文脈でのガブリエル、
5度/3度の文脈でのガブリエル、
四季に位置づける文脈でのガブリエル、
自己同一性の維持と破壊の文脈でのガブリエル、
‥上記以外の文脈でのガブリエル衝動について、
ちゃんとした文献があったら、どなたか教えてください‥
「あなたはガブリエル的な人間だ」
と言われることがある。
今までに2~3人に言われた。
考えてみれば、私にとっては、
インスピレーションが先。結果が先。
つまり、思いもよらない結果を望まない。
だから少なくとも、あまり“ミカエル的な人間”ではない気がする。
空虚5度も、“空虚”に聴こえないところがあるし。
だが私は、「時代の敵」だろうか?
私の音楽は、「あまりに民族的」だろうか?
‥まったく自覚がない。
民族霊/時代霊の文脈でのガブリエル、
5度/3度の文脈でのガブリエル、
四季に位置づける文脈でのガブリエル、
自己同一性の維持と破壊の文脈でのガブリエル、
‥上記以外の文脈でのガブリエル衝動について、
ちゃんとした文献があったら、どなたか教えてください‥
- [2006/03/05 21:49]
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