未整理な年末 

とても忙しい一年でした。
あまりに沢山のことがあって、ほとんど未整理、未消化です。
あまりに忙しいので、ここが最近「自分専用告知板」になってたので、
未整理なまま色々と列挙します。
ただ書き散らかしたもの、と思ってくだされば幸いです。
十分な取材も調査も、何の裏づけもありません。

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どれほど忙しかったかというと、
「これだけ買えば2~3ヶ月は読むものに困らないだろう」
と年始に買った本がまだ殆ど読めずに積み上がっている。
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ここ5年ほどだろうか、私は職業的な切迫感~新しい音楽に適応しなければという恐怖心~から、デジタルノイズを音楽の一部として活用する最近の音楽を非常な苦しみをもって研鑽していた。ディストーションのかかったギターを「壊れてる!トラブルだ!」と騒いだ60年代のエンジニアや、フレーズをサンプリングしたヒップホップを「致命的な和声上のミスを犯している。決してプロとしてやってはならないミスだ。」とあきれ返る古典原理主義者の作曲家みたいになりたくなかったのだ。
しかし結論は、「もうたくさんだ」。聴いてて良かったアルバムはこの4~5年で3~4枚だったし、私が試作した“そういう音楽”も、それほど評判は良くなかった。12音やセリーのように、音楽の通過点のようなものだったのかもしれない。
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歳をとると時間が経つのがとても速い。「最近の若者の音楽を聴かなければ」と聴いてた2人の最新作を買ったら、2人とももうデビュー10年だそうだ。両方とも「テクノ」と呼びうる範疇の人だが、10年たっても殆ど作風に変化はない。60年代、70年代、80年代では、“最新鋭のポップミュージシャン”が10年作風を変化させないのは全く考えられなかったことだ。音楽に関して、時代は止まったのだ。
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今でも、「十分に機材(楽器)を知り、十分に手になじんでから音楽を作り始める」癖が治らない。
苦しみぬいたWindowsでの音楽制作環境構築。データの引越しすらまだ完全ではないのに、Cubaseは4になり、来年にはWindowsはVistaになる。どうしたらいいのか。
おまけに時代は「光」と「無線LAN」だそうだ。殆どのミュージシャンがそうであるように、私も電波が大嫌いだ。どこでノイズるかわかりゃしない。我が家はケーブルだらけだ。ヘッドホンすら5mの延長ケーブルを使って、家中ケーブルを引きずって暮らしている。
「光」にする必要は全く感じていないが、「光」にすると動画がかなり自由になるらしい。近所のレンタルビデオ屋が潰れてから、随分不便な思いをしている。しかし「光」にしたところで、それが何年もつというのか。地デジまで約5年。ハイビジョンを見てからDVDを見ると、DVDの汚さに驚く。
今現在最も音楽に向いているOSはWindows2000と言われているが、それを動かすドライバも対応ソフトも、もう売ってはいない。
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物凄い苦労と努力で、そんじょそこらのプレス工場より高音質なCDを自宅で焼けるようになって2~3年。
もう対応CDRも、CDケースすら店頭から消え始めている。私にはみんながSACDを買うとは思えない。プレス品質は劣化の一途。世界中の録音芸術の質が落ち始めている。音楽はいったいどうなってしまうんだ。現在のCD以上の音質でコピープロテクトの利いたデータでも売る時代が来るのか?それとも「ツアー」という名の旅芸人しか生き残れないのか?それが“やりたいこと”の人はいいだろうが、そうじゃない人は?ひとりで作った音楽を、ひとりで聴いて欲しい人は?
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myspaceをはじめるまで、私は「ダーク・アンビエント(Dark Ambient)」「ダーク・ウェーヴ(Dark wave)」というジャンルの存在すら知らなかった。
「なんで日本にはダークアンビエントがお前しかいないんだ?お前の国はテラヤマ、チカマツの国じゃないか」とフランス人に訊かれて困った。
私の音楽を好む人が、カリフォルニアとノルウェーに集中するのも不思議だ。どういう取り合わせなんだろう。逆に、全く理解不可能な言動をしたり、全く分らない理由で好いてきたり嫌ってきたりするのはロシア系か中南米だ。これも不思議な取り合わせだ。判らない。
とにかく、再び海外に音楽を発信できるようにはなった。結果はまだ出ない。(ずっと出ないのかもしれない)
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HD録画機を買ったことと、忙しかったことが原因で、テレビを見る時間も激減した。あんなに「慌ただしい。許せない」と思っていたテレビなのに、たまに録画してないテレビを見ると、ゆったりしてて驚く。HDだと30秒飛ばしたり、倍速で見たり出来てしまうからだ。
で、時事問題について詳細に知っているとはいえないのだが、奇妙に思うのは、「談合事件」と「飲酒運転」と「いじめと自殺」だ。
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談合事件について。逮捕が相次ぐのは判る。国策として、もう余計な税金を地方にはあげてられない。だから競争してください。これからはきちんと犯罪として見つけて逮捕しますからね。そういうことだろう。
しかし、「和を以って尊しとなせ」。日本民族は談合することで今日まで生きてきた。
「元々特定の病気にかかりやすい家系があるように、日本人はとても談合に罹りやすい民族だ。それは“相談して穏便に”という美徳の副作用だ。“競争”という概念は日本になかった。競争という単語自体、西洋の概念を紹介するために福沢諭吉がつくった造語だ。自分たちは談合しやすい気質の民族だと自覚して日ごろから気をつけよう。自分達は競争とは何かまだ完全には理解していないから、競争についてちょとづつでも学んでいこう。そして真偽と善悪を見極め、みんなで少しずつでも進んで行こう」
そう伝えてる放送は聞いてない。私が聞いてないだけだろうか?私みたいに忙しい人間でも聞いてなきゃいけない話のはずだから、忙しい私が聞くくらいもっとくどい位いろいろなメディアでアナウンスしなきゃいけないはずだが?
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きわめて悪質な飲酒運転が原因で一家が大半亡くなってしまった事件が報道されたのって何年前だったか。忘れてしまった。
しかし、その前にも、つまりテレビや新聞のマンガが酔っ払い運転をユーモラスに描いてた頃から、飲酒運転の死亡事故はあったはずだ。なんの理由で今ヒステリックに飲酒運転に社会の憎悪が向けられているのか判らない。まるで飲酒運転=殺人未遂の勢いだ。実際に飲酒運転が増えているのかどうかも判らないし、社会のネット化に伴う物流の変化が交通にどのような影響を及ぼしているかも知らない。私が知らないところで報道されているんだろうか?私は運転もしないし酒も年に数回しか飲まないので攻撃対象にはならないだろうし、この集団ヒステリーを境に交通事故が減るなら何の文句もないが、なんのきっかけでこの集団ヒステリーは起きた??
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なぜ「いじめと自殺」がこんなにもクローズアップされているのか、全く判らない。
数的に増えているのだろうか?判らないし、資料なんかあてにならない。いじめの報告件数、自殺の原因の報告件数なんて、時代の都合によってコロコロ変わるに決まってる。「いじめの質が昔と違う」「親の質が昔と違う」「教師の質が違う」と言うが、かなり綿密に取材した特番をひとつ見た限り、私がいじめられ、自殺ばかり考えていた70年代・80年代と特に違うところは見当たらなかった。老人にすら特に大きな違いを感じなかった。70年代・80年代だって「死ね!お前みたいのは戦争中はみんな死んじゃってたの!」って笑いながら叫ぶ老人はいたし、朝礼で「自殺はするな。お前らがその歳になるまでいくらかかってると思ってるんだ」と訓示を受けたし。
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ポール・モーリアさんと、ロバート・モーグさんが亡くなり、河合隼雄さんが脳梗塞で倒れた。
友人のご親族にも亡くなる方が多かったように思う。
(もちろん、その方々は皆一人しかいないので、“数”にするのは失礼ではあるけれども‥)
‥私の両親も、元気とは言えない。

昨夜 

身内の誰かだったか、友人の誰かだったか、
通りすがりの誰かだったか、判らなかった。
翳りのように、霞のように見えたので。

昨夜は その 無言の 幽霊に
いろいろな ことを 話した

iTMS開始 

舟沢のアルバムのうち、
夜明け前双つ」と、
蝉丸の為の音楽」が、
iTunes Music Store で購入可能になりました。
携帯音楽プレーヤなどで普段音楽をお聴きの方はご利用下さい。

上記リンクはiTune7以上ならクリックすると作動するはずです。
もしもうまくいかないようでしたら(よくあることだそうです)、
iTMSに行き、「舟沢虫雄」か「mushio funazawa」で検索してみて下さい。
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追記/補足を読む

「重油との戦い」終了 

金沢舞踏館公演重油との戦いが無事終了したそうです。
ご来場の皆様、ありがとうございました。

谷口ナツコ展/成田護公演 


AndZoneというところで、
敬愛する舞踏家/音楽家の成田護さんの公演を拝見してきました。
ご自身の楽曲による舞踏で、
会場では「谷口ナツコ展」が行われており、
谷口ナツコさんの作品の中で踊られたのですが、
作品を十分に意識した衣装と音と踊りであったとお見受けしました。
谷口ナツコさんという方の作品も、
実物は画像で見るより遥かに美しいもので、
元々派手嫌い、サイケ嫌いの舟沢でも美しいと感じました。
そこに成田さんの音と照明と踊りが溶け込んだとき、
私は自分の色彩に関する世界観が拡張されるのを感じました。

いい経験をさせてもらいました。
無理して時間を作って観にいってよかったです。

公演終が終わるとすぐに展覧会のクロージング・パーティーとなり、
多少興奮していたのか、滅多にお話出来ないからか、
かなり長時間、成田さんを独り占めして一方的に話してしまいました。
パーティーに参加された皆様はご不快だったかもしれません。

すいません‥

「重油と海」 

完全な闇。一直線の意識。
まっしぐらに紆余曲折していく。
一瞬前も一瞬先も消え去る。
時間から味わいが無くなる。
無感情なまま眠る。
まるで眠っていなかったかのように、
昨夜と全く同じ意識で唐突に目が開く。
身体を壊さなそうなものを食べる。
味は感じない。自動的に口が動く。
一切の感情と感覚が途絶え、
音楽の持つ感情と感覚を凝視することだけに、
生活の全エネルギーを使用する。
そこに希望も絶望もない。喜びも哀しみも無い。
希望も絶望も喜びも哀しみも、観察の対象となって、
音楽の中になぞられていく。
冷静さや自己省察とは全く違うもの。
あらゆる感情、あらゆる感覚、あらゆるイメージ、
あらゆる言葉、あらゆる音色、あらゆるデータ、
あらゆる配線、あらゆる知識、あらゆる希望、あらゆる絶望を、
夜空の星のように見上げている。
私は私の下に下降しているのだ。

思い出した。こういう風に音楽が作られていくこともある。


あまりにも多くのイメージをパッチワークのように織り込んだので、
気の利いたタイトルをつけることがうまく出来なかったが、
公演で曲名が重要になるとは思えない。
「重油と海」というタイトルを(一応仮題として)付けた。
「海と重油」でないのは、英語にした時の子音の流れを考慮したまでのこと。

そういうわけで、
金沢舞踏館公演重油との戦いの音楽は、
近年の舟沢の中では飛びぬけて命を削って音に塗り込めてあります。
舞踏の構成を考慮して作りましたので、
今後もそのままの形では発表はしないと思います。
(編曲版をアルバムに入れるとか、編集したものをmyspaceに流すとかはあるかもしれませんけど)
ですので、これを聴く機会は今回のシンポジウムだけの可能性が高いです。
どんな音響設備なのかも知らずに作ったので大きなことは言えませんが、
とりあえず、
宜しくお願いします