ほぼライフライン 

パソコンの調子が悪かったら、
当座古いパソコンで、かなりのことをしのげるけれど、
モデムが壊れたら、ほんとにどうにもならないことに気付いた。
今回はモデムを何度か再起動したら治ったけど、
フルブラウザ携帯でも買っといたほうがいいのかもしれない。

携帯は小さければ小さいほどいいんだけどなぁ‥‥

多忙ジレンマに意味を見出せるか 

スケジュールをパソコンで管理していて、ふと、
今年に入ってからの作業量に愕然とする。
なんでこんなに雑多な作業で生活が埋め尽くされている?
なんでこれほどの作業がこなせている?

‥そう思って、よく考えるとむしろ、
こちらのほうが普通の大人なのだろう、と思う。

作曲家なのに作曲する時間が移動中の電車の中しかないとか、
1時間のラップトップトラックを15分で作ってライブハウスで聴かせきっちゃうとか、
そんな無茶な話はいくらでも聞く。
恐ろしいのは、それが「無茶だ」ということがわからなくなること。
私は「この曲作るのに2時間もかかった。自信作!」って自作を発表してる若者に慄然とする。
イメージ~作曲~トラックメイク~レコーディング~ミキシングまでで2時間‥

私は、1曲のレコーディングに最長5ヶ月かけたことがある。

もうそんな時代ではないことは重々承知の上だが、
先進国の人々の大半が食べすぎに苦しんでいるように、
音楽の摂取量も明らかに多すぎるのだ。
だから、音楽を作る人は、有料無料を問わず、
「世に出す価値があるかどうか」をよくよく自問してみてほしいと思う。
しかしここにもジレンマがある。
沢山発表しなければ活動していると思ってもらえないのだ。
思い出した。ファウストの中で道化は詩人に語る。
「いいインスピレーションがあるなら、それを10倍に薄めて10個作れ」
このジレンマは意外と古いものだったか。

安心不能 

いくらリラックスしているつもりでいても、
意識の薄皮一枚剥げば、いつ電話が来るかと身構えている自分がいるものだ


―たしかコリン・ウィルソンの言葉だった気がする。
電話があるというだけで、
人間はリラックスすることが出来ない。
大昔の人の話ではない。ごく最近まで活躍していた人だ。

ほんの2~30年で、
もう、完全な平静を体験するのは不可能な時代になってしまったし、
完全な平静を経験した事のある人や、その体験を覚えている人も、
ほとんどいなくなってしまった。

―忙しい。
―何かに安心してみたい。

「重油と海」ダイジェスト 

昨年末の「重油との戦い」のために書き下ろした
「重油と海」(25分)という曲を、
6分24秒のダイジェスト版に編集して、
myspaceで聴けるようにしました。
こちらの右上の曲リストの“Crude petroleum and sea”です。