myspace更新 

myspaceの右上、試聴コーナーの3行目。
「歌うな」の5分試聴だったのですが、
「ここで待っていた」の5分試聴に差し替えました。
例によってmyspaceのシステムが不安定な為、
まだジャケット写真もアップロードできていませんが、
「蝉丸の為の音楽」のプロモートです。

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追記/補足を読む

デジタルシンセもアナログに聴こえる 

70年代に、
「こんな無機的なもの聴けるかっ!やっぱりトミタ最高!」
とか思っていたウォルター・カーロス(現ウェンディ・カーロス)の、
「スイッチド・オン・バッハ」
80年代を過ぎ、90年代を体験し、21世紀を生き抜いてきて、
今聴くと、あまりに有機的に聴こえるので驚く
有機的に聴こえている自分にも驚くし、
有機的に聴こえるようになったこの世界にも驚く。
最近の生楽器のCDよりはるかに有機的だ。

ずっとパソコンでの仕事が続いて、
久しぶりにTX802を弾いて、
あまりに有機的で驚く
無論、永年FM音源と闘ってきたから他の楽器より鋭敏になってる所はあるだろう。
ひとさまのCDでも外部FM音源かFMソフトシンセか解ることもあるし。
しかし、永年そのデジタル臭さと闘ってきたFM音源が、
ほんの数ヶ月パソコンだけの仕事をしていただけで、
アナログかと思うほど有機的に聴こえるのには心底驚いた。

‥こりゃぁ、いつまで経っても全部パソコン内部で出来る日は来ないぞきっと。

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さて、話が変わるような変わらないような、へんな感じだが、
WindowsXPの話。
音用のパソコンを買い換えるとしたら、
この数ヶ月を逃したら、チャンスは数年来ないと思う。
システムの安定性、アナログ機器/アナログ部品が日々衰えている現状。
(今ですらプロ用オーディオインターフェースを次世代機に買い換えたら、アナログ部品がダメになってて前のほうが良かったなんて話はしょっちゅう聞くのだ)

買うならこの1~2ヶ月しかない。

しかし、
私にとって音用パソコンの買い替えは途方も無く恐ろしい。

できれば信頼できる方に「このBTOでいいっすよね?」と聞いて買い換えたいが、
その信頼している方が喪中である。
おくやみのお葉書は出したが、状況を知っている以上、
こちらから「ねぇねぇ、これでいい?」なんてメールを出す無神経は出来るわけがない。


うぅ~‥

傷は傷 

傷は傷
忘れようが 忘れまいが
傷は傷
恨もうが 恨むまいが
傷は傷
許そうが 許すまいが
傷は傷 ただの傷
ただの 消えない 傷

ローデリウスさんに言いたかったこと 

―『谷内六郎文庫』を読み終えて、複雑な思いでいた。
本の中で彼は、私にとって、もう決して帰ってはこない、決して取り戻すことの出来ない懐かしい日本に住み、
その(私にとって懐かしい)日本に落胆しながら、私の知らない日本を懐かしんでいる。
私は、彼の描く「ぼくの子供のころ」を、殆ど理解することが出来ない。


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myspaceで、ハンス・ヨアヒム・ローデリウスさんからフレンド・リクエストが来たとき、私は「へえ、またマニアックな人のファンサイトを作った人がいるねぇ」と思いながらフレンド認可した。あるいはマネージャーさんかスタッフさんが作ったのかな、と。
(ブライアン・イーノさんのmyspaceは明らかにファンサイトだし、マイケル・ブルックさんのmyspaceはスタッフさんが作っている。“フレンド”になると「マイケルの今後のスケジュールです」というスタッフさんの書き込みが見れるようになるのだ。)
ところが、ローデリウスさんからのメッセージを読むと、どうも私にはご本人に思えるのだ。
証拠はない。公式サイトにリンクされていないし。あるいはスタッフさんが代読、代筆しているのかもしれない。でもとにかく、物凄くご本人っぽいのだ。
頂いた私信はここではもちろん公開しないが、ローデリウスさんに返事を書こうと思ったものの、私の英語力では全く不可能だ。翻訳ソフトでどうにかこうにか伝えたいことの3分の1くらいは英語にして、やっと送った。
そのとき私がローデリウスさんに伝えたかったことというのが、私が谷内六郎さんの絵や文を読んだり、“ナンバ歩き”を知ったりして、いつか文章にまとめて自分の公式サイトに載せようか、と思っていた内容と殆ど同じであった。
そういうわけで、
ここで、私がローデリウスさんに送った“3分の1メッセージ”ではなく、
私がローデリウスさんに伝えたかったことを、
私信的な部分を除いた日本語の状態で記しておく。
(つまり、これはローデリウスさんに実際に送った文章の日本語訳ではなく、私の真意のなかで、公開しても差し支えない部分を文章化したものである。)

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ローデリウス様
メッセージをありがとうございます。
私はあなたのレコードやCDの幾つかを持っています。今ちょっとタイトルが思い出せないのですが、KORGのPoly61を弾いてらっしゃるとクレジットされているレコードが好きで、若い頃よく聴いたものです。

さて。日本についてですが、
恐れながら、日本はあなたがお考えになるほど深い伝統を持ってはおりません。
近年、日本で興味深い発見がありました。江戸時代までの日本人は、歩くときに右手と右足、左手と左足を同時に出していたというのです。
現在の「普通」の歩き方は、イギリス軍がサムライに訓練で教え、侍たちが教師や警官や官僚などになって大衆に教えて浸透していったもののようです。
他にも日本では、いわゆる「サムライの時代」が終わったときに、「家族とは何か」「父親とは何か」「職業とは何か」といった社会の基本構造を、非常に人工的に、強制的に取り決めた形跡があります。
19世紀末に、日本は伝統の殆どを捨て去りました。これはいわば、日本の「ファースト・インパクト」です。
日本の「セカンド・インパクト」は第二次世界大戦が終わったときに生じました。そのときにも、日本人は伝統の大半を捨て去りました。
(余談ですが、私は10代の大半を、伝統に非常に厳しい学校と地域社会の中で育ちました。私が、大人たちが「伝統」と呼んで竹刀という竹の棒などを使って叩きながら私に教えていたことは、実は概ね20世紀中盤の特殊な意識状態の残滓であったことに気づいたのは、私が20代に入ってからでした。)
又、日本には今もなお、伝統が多少なりとも残っている地域があります。しかし、日本の芸術家の多くは、深く知る人ほど、その地域を嫌っています。
たとえばそういった地域~文化遺産があるという理由でアメリカ軍が空爆しなかった地域~で展覧会を開くと、地元の人々は、それがどこの誰であろうと、蔑むためにやってきます。彼らは、自分と、自分の村と、自分の村の文化遺産の区別が曖昧な精神構造をしているので、自分の村に伝わる8世紀や10世紀の彫像などと比べ、自分(達)のほうが優れていることを感じるためにやってくるのです。まれに東京などから、そのような地域に移り住む芸術家もいますが、多くの芸術家はそのような地域から立ち去ります。そういう地域で生まれ育った芸術家の多くが、私の知る限り、自分の故郷が空爆されれば良かった、全部燃えてしまえばよかったとすら口にします。
―それはさておき、実は今、日本は「サード・インパクト」を経験している最中です。
日本人は伝統の大半を捨て去ろうともがいています。
もう捨てるべきものを持たないので、多くの人が自殺しています。
この「サード・インパクト」を多くの場合「グローバリゼーション」と呼ぶようですが、
私はもっと事態は複雑だと思っています。

それでは、健康にお気をつけて。
舟沢虫雄

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これが、本来私がローデリウスさんに言いたかったことの、公表してもいい部分である。
これにプライベートな部分を付け足し、文章を3分の1程度まで簡略し、
翻訳ソフトで無理くり英語にしたものを、ローデリウスさんに送信した。

―ローデリウスさんから興味深いお返事を頂いたが、あくまで私信なので、いつの日か機会があれば、ということで。

金沢舞踏館東京公演:終了 

2007/2/14の金沢舞踏館公演は、終了致しました。
ご来場の皆様、ありがとうございました。

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追記/補足を読む

ロシアの病理と友愛と 

ごく簡単に言うと、
myspaceで、とあるロシア人に、
かなり傷付く行動をされてひどく傷付いた。
あまりにも不可解で耐え難い挙動だったので、
別のロシア人の友人に
「こんなことされたんだけどロシアでは普通なの?
どういうことなのか説明できる?教えて。」
と相談した。
そしたら、だいたいこんな感じの返事をもらった。

「僕には君の苦悩が相当よく判る。
でも、僕には、彼が君にしたこととや、彼以外の、
いままで僕が付き合わなければならなかった
あらゆるロシア人の行動や心中を、表現することが出来ない。
これは魂の奥深くにある深刻な問題なんだ。
彼らは、ただそのように行動する。
君にできる最善のことは、ただがっかりすることなんだよ。

日本人特有の病があるように、
ロシア人にもロシア人なりの病がある、ということか。
そして心あるロシア人もそれに苦しんでいる、と。
河合隼雄氏は、たしか「日本人にとって最大の病は、日本人であることだと思うんです」と言っていたな‥

それにしても、返信をくれたロシアのメル友に深く感謝せずにいられない。
ひどいことをしたロシア人の名前はもちろん公開しないが、
アドバイスをくれたHimmelkommandoさん、ありがとう。

愚者の思考の足跡 

あほはあほなりに考える。
経済が所謂“スーパーシステム”だとしたら、
グローバル経済は“おのずからこわれない”、ということになる。
カースト制を思い出す。現存する最古の都市階級社会。
グローバル経済はスーパーシステムが発動するほど多様だろうか、と考える。
わからない。
インターネットは多様だろうか、と考えてもわからないのと同じ。
外から見れば何も無いに等しいし、
内から見れば無限のような錯覚すら覚える。
この逃げ場の無い経済世界の伽藍から抜け出すには、
経済以外の物質力の遮断が必要なのかもしれない。
無論、化石燃料と二酸化炭素と、放射能つきクリーンエネルギーのこと。
しかし、そんなことに耐えられるだろうかと、
ガスファンヒーターで足を暖めながらノートパソコンの前で考える。
全く逆に、グローバル経済がまだ多様過ぎることに苛立つ自分に気付くこともある。
ドルどころか、ユーロ、ポンド圏の人にすら私のCDは買いづらい。
一律で海外販売をお願いしているお店は、売れたらドル小切手の郵送になる予定だ。
ドル小切手の換金手数料を銀行に聞いて驚く。
掲示板を徘徊すると、「いつの日か自動レート変換で日本の銀行に入金される日が来るまで、支払いをプールしとく」なんて人もいる。
一様でないことへの烈しい苛立ちと、多様さへの切実な希求。
緩衝材。
キューバの音楽と知恵深い女性達。
日本で言えば神社の掃き掃除。寺の雑巾がけ。プロジェクトX。
(労働と宗教感情が結びついているのは世界的に極めて珍しいのだそうだ)

いずれにしろ、いまのままではなにかが足りない。
なにかが。