無言 


merciless industry
merciless sky
taciturn each other

崇高・明朗・圧倒的孤独 

先日、
「絶版で入手できそうにないが、自分が好きな正反対の画家、マーク・ロスコとC・D・フリードリッヒの共通点を論じてる本があるらしい」
と書いたが、
どうやらその本のテーマは「崇高さ」であるらしい。
なるほど。そうすると、私が追い求めているものも、崇高さか。

今どき流行るわけがないわな。

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歳をとったか、忘れやすくなってきた。
気分としてはまだ「生まれてもいない」気でいるのに。

神秘学をかじった方ならご存知の方も多いと思うが、
人間がより「霊的」であるのは、夜ではなく、朝である。

朝、インスピレーションを紙に書き付ける。
そして忘れる。

書いたことすら忘れてから、ふと紙を見る。

「明るさと、圧倒的な孤独が必要になる」

‥なんだろ、これ。
両立しうるんだろうか。

ロスコとフリードリッヒが 

私が好きな画家に、全く正反対の二人。
マーク・ロスコとC・D・フリードリッヒ。
なにげなくネットを徘徊したら、
何とこの二人が同じ霊統に属しているという論文があるという。
慌ててその本を調べたら、絶版。古本で¥9800~。

…‥気長に待つ。

かねてより、本探しはほとほと懲りたというか、
待つのが一番と思うようになっている。

10年、15年と探し続けていた本が、
ある日突然、再売され、アマゾンが推薦してくる。
ある日突然、通りがかった本屋で文庫になって平積みされてる。
本に関しては、どうやら探す努力より寝て待つほうが遥かに効率的らしい。
不思議な話だ。

しかし、絵画、小説、思想、いにしえの異国の宗教、
音楽でさえなければ、私は、人類のある特定の霊統の中にいることを実感することができる。
録音芸術が始まって100年ちょっと。シンセサイザーが生まれて40年ちょっと。
もしかしたら、人類の中には、記録にも伝承にも残ってないだけで、
私みたいな音楽家もいたのかもしれない。
が、いなかったのかもしれない。探しようもない。
なんか、色々考えてると、やっぱり、カミサマに不平を言いたくなる。
言わないけど。(私はバチがあたるのにも懲りているのだ)

ノン・ミュージシャンですらないのだとしたら 

どうやら私は、
仮にアンダーグラウンドのミュージシャンであったとしても、
アンダーグラウンド・シーンのミュージシャンではないみたいだ。
だから私は、アンダーグラウンド・シーンの人々に受け入れられない。

この歳になってやっと判ってきた。
遅すぎる。
「アンダーグラウンド」の意味も、2度3度と変遷した。

“普通の”音楽をやる人々は
「あんたがやってるのは音楽なんかじゃないんだよ。」
と言って私を軽蔑するし、
いわゆる“ノン・ミュージック”の人々は
「お前がやってんのはただの音楽じゃないか。」と言って私を軽蔑する。

音を聴く以前の問題の場合もある。
実は以前、「日本で最も自由なインディーズショップ」と評判の店に、
CDを置いていただけないかと挨拶に行って、ひどい剣幕で追い返された。
高校生がカセットを売れるような店で、である。
顔か、服装か、言葉遣いか、いくら考えても解らないが、
とにかく店長さんに直感的に「外敵」と見なされてしまった。
おそらくアンダーグラウンドらしい顔、服装、言葉使いというものがあるのだろう。

私の作品を取り扱って下さるお店の大半が、
アート・ショップや本屋さんなどであるのは、そういう事情もある。
(狙ってやってるわけじゃない。
あがいてあがいて、気付いたら今のようになってただけだ。)

そうは言っても、様々な場所に、
好いて下さる方々が、少しずついる。
そういった方々に、何らかの“傾向”は、ないように思う。
クラシック畑にほんの少し、ニューエイジ好きにほんの少し、
プログレファンにほんの少し、ノイジシャンにほんの少し‥…
…つまり、マーケティングして狙って売る、ということができない。
生まじめに作って生まじめに売ることしかできない。
しかし、このやり方は、音楽業界では「いいかげん」と呼ばれる。

しかし、音楽で収入を得ているかどうかだとか、
どこかの音楽家の協会の会員かどうかだとか、
譜面の読み書きができるかどうかだとか、
WAVかAIFで自作曲を提出できるかどうかとか、
そういうもろもろよりも、もっとずっと深いどこかで、
私は、じつは音楽家ではないのかもしれない。
‥そんな考えがふとよぎることがある。

この考えに私は恐怖する。
「オンリーワンを自慢してやがる」と思われるのも怖いし、
養老某氏の考え方に100%同意しているわけではないけれど、
「ほんとうの個性なんてものに何の価値もない」という考えには、
確かに一理あるような気がする。
逆に、「お前みたいなありふれた凡人が何勘違いしてんだ」、
みたいに言う人もいる。

四十を過ぎてなおも思う。
私ゃいったい何なんだ。

タチアオイ 

Alcea rosea


父の歩いた 道に

無常と永遠 

これは、もしかしたら、インディーズを含む音楽業界に身を置いている方にしか解らない話かもしれません。

私は、自分の音楽を売ることを、
生鮮食品販売とはかなり違うものだと思っています。


まぁ、そんな人間が日本に一人いたところで、
業界の皆様には概ね無害ですので、
よろしくご承知おきください。

慢性疲労 

辛ぇぇぇぇ

座る? 

私が出会った鍼灸師の中でダントツに上手い先生。
親類皆お世話になっている。父も生前お世話になった。
鍼灸師、兼、禅僧。
私が治療を受けている最中にチマチマと、
華厳経と免疫学の関係が解んないんです、とか、
今先生がおっしゃってる内臓の話は古代ギリシャの考えと同じですが、漢方ですか?とか、
なんか知りたそうな感じを出していたからだろうか、先日、

「…座る?」

と言われた。
「はい。お願いします。」と答えた。
次回、鍼灸予約の一時間前に治療院に到着。
私はてっきり、治療院の奥の方に畳の部屋があって、
そこで座禅を教えてもらえるのだろうと思っていたのだが、
先生、その治療院が入っているアパートの二階に私を案内する。
アパートの二階に、表札のないドアがある。
「ここ。」
と、普通のアパートのドアを開けると、
中が完全に禅堂に改装されていた。

その“外からは見えない禅堂”に通されたとき、
子供のころから関心を寄せ続けてきた“学院”に、
やっとこさ「門をくぐらせてもらった」事に気付いた。

やっとスタートラインかよ

多忙と烏‥ 


疲れたなぁ‥