長い日食のような 

太陽が 隠れたような
太陽が 遠ざかったような
日々は 続く

私達が 光を見失いつつ こちら側で 目覚めるとき
あちら側では 私達は 見えなく なるのだろうか

献花 

Web翻訳に頼りつつ、 どうにかこうにか Distuebed Earth さんと言葉のやり取りをしていて、はっと気付いたこと。

人の心の中には、他人はおろか、本人ですら滅多に入ることができない神殿がある。
その神殿の存在に気付くことなく人生を送る人も少なくない。

その、心の一番奥の奥、他人はおろか本人ですら滅多に入ることができない神殿は、破壊されうる。

他人も自分も入って行けない場所にあるのに、人間にとっておそらくもっとも重要なものであるのに、何者かに壊されうるのだ。

音楽には、神殿の破壊を食い止めることはできない。

人間には、それを食い止めることはできない。

神々にも、できないのかもしれない。

しかし、神々なり、音楽なり、ひょっとしたら人間にも、
崩壊した神殿に、献花することはできるのかもしれない。

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夜の彼岸の中に所収している「聖域にて」を制作しているときに、編集しながら「なぜ献花されている?」と自分でも訝しく思いながら、それでもどうしても献花されている方が正しいとしか感じることができず、「なんなんだろう…?」と思っていたのだけれど、

あのとき直感に従っててよかったと思う。

ゴルゴタ 

おぼろげにだけど、やっと、
ゴルゴタの丘で何が起きたのか、
思い浮かべることができるようになってきた。

人は信念を担いで無力と恥辱と死の丘を登る。
これは転落といっていい。落ちることと登ること。

それを鞭で打って罵倒してあざ笑うのも人だし、
信念の人からこっそり力を吸い取るのも、
一番大切なものを銀貨30枚で売り払うのも、
「あんなやつ知らないと」言うのも、
人である。

全員、人間の--少なくとも私の中に、生きている。

永年考えてきた事柄だけれど、
思い浮かべることができ始めたら、
なんか、知りたくなかった気もする。

とりあえず、思い浮かべた後、
熱出して寝込んだ。

今日 


空に 紅が 差していた