地上の禍福 

微塵もわかり合えない人と、
共に生きていくというのは、
人間にとって、福音なのでしょうね。

むごいもんです。

ブッククラブ回に作品補充 

ブッククラブ回に、
舟沢作品を補充いたしました。
よろしくお願いします。
追記/補足を読む

道化師の個的系譜 

まず、はっきりと意識したのは、
タロットカードの「愚者」だったと思う。
タロット使いの小学生。思えば生まれて10年ちょっとでグノーシス気質は発現していたことになる。

次にビュッフェの描くピエロ。あの異様な明暗は衝撃であったが、当時の私には衝撃の意味を理解することはできなかったし、衝撃を受けたこと自体で体験として十分であったので、特に衝撃の意味を考えるという発想を持たなかった。
幼かったのだと思う。

やがて、コクトーのアルルカンを見ることになる。
展覧会の会場で買った絵葉書に1988とあるから、これまたずいぶん昔の話だ。
漆黒の闇から、微笑むピエロがこちらに向かって跳躍している。その深い印象。

そして、「フェリーニの道化師」。フェリーニらしい洞察と美意識と自在な時間操作による、ピエロのドキュメンタリー。
ピエロであることの喜びと悲しみ、
ピエロでいられなくなることの苦しみ、
サーカスが廃れ、どこでどうやって生きてきたのか、
カメラの前で全身全霊でふらふらになりながらおどける、年老いたかつての道化師たち。

河合隼雄著「影の現象学」あたりで、
私のピエロ・道化師のイメージはかなり定着したような気がする。

トリックスター。

トリックスターとは、まさにタロットカードの“愚者”のように、硬化しようとする秩序を混ぜ返して生気あるものに保とうとする存在のこと。入り口じゃない所から出入りしたり、王様にタメ口きいたりして、固定化する社会を揺らがせる役割を負った人。道化師とはそういう存在。
(Wikiを見ると、私の把握しているトリックスターとピエロの同一性は、ごくごく一部の把握のありかたのようだけど)

タロットというシステムを硬化させないために、カード番号を与えられていない愚者。
闇の奥から微笑みつつこちらに跳躍してくるアルルカン。
組織の中で社会が固定してしまわないよう行動する道化。
その道化であることを自らに課した人間の、
衝撃的なコントラストと、喜びと悲しみ。

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もうじき、私の道化師認識に、
新しい何かが加わるのかもしれません。
詳細後日。

問いを忘れた朝 

目が覚める際、
あちら側からこちら側に戻る時と、
まだ目を開けることができずに朦朧としている時とは、
普通は連続していて、区別がつかない。

しかし、昨夜、あちら側からこちら側に戻るとき、
私は、“こちら側”の事しか意思していなかった。
そして、目を開かず朦朧としながら、
「こんなことでは、私はいちばん大切なものを失う。」
と思った。

目を開いてみると、よくわからなくなる。
いちばん大切なものとはどちらの何のことか。

あちら側の何かだろうか。
こちら側の何かだろうか。

理屈で言えば両方の中間に存在するのが人間なのだが、
どうしてまた○○○○○○
(‥‥この先突然言葉が先へ進まなくなった。
何を書こうとしたのか思い出せないのだ。
何かとてもとても大切な問いだったはずだが‥)

HP更新 

公式サイトのトップページ無題詩を替えました。
従来の削除録はこちら

汽水域 

――人の死は、よく川の河口に例えられる。
しかし、汚れ、遅れ、しばしば逆流すら起こる、
停滞した汽水域を見つめていると、
私たち、いや、私は、この例えを、

まだほんとうには分かっていないような気がしてくるのだ。


四つ打ちを説明する際 

―わが禅師にとって、坐禅と瞑想は別のものであるらしい。

曰く、
「いやぁ。むかしねぇ。瞑想とかいうものをする機会があってねぇ。
何をすんのかと思ったら、なんだか単調なねぇ、
ドンっ!ドンっ!ドンっ!ドンっ!
って音楽を、凄い大きい音で鳴らしながら目を閉じてろってんだがねぇ。
それがねぇ、なんだか聴いてるうちに幻覚みたいのが見えてくるんだねぇ。坐禅とは全然違うものなんだが。
それに、ヘンに気分が高揚してくるんだよ。それも坐禅とは全然違うんだ。
でもねぇ、主催者はそれを宗教体験と言いたいらしいんだなぁ。
あれは何なのかねぇ。

一応、色々と知ってる範囲でご説明申し上げた。

・四つ打ち
・四つ打ち出現当時のヨーロッパの社会状況
・大音量の四つ打ちによる脳内物質の分泌
・目標ではなく逃避、もちろん人によっては切実なる逃避
・あっという間に世界を覆ったムーブメント
・末法的西洋から見た末法的東洋

ダダイズムがどうしたとか、ルシファーがこうしたとかは、口にしなかった。

帰り道、どう言えばもっと簡潔にご説明することができたかな、と考えていたら、ふと、

「発生当初の 踊り念仏みたいなもんです」

と申し上げればよかったのかな、と思ったのだが。

合ってるかなぁ‥
‥ちがってたらすいません。

表現主義体質 

過去も、未来も、現在も
今この場所も、今ここ以外の全ての場所も、
いかなる技巧も、いかなる感情も、
ロマン化することができなくなった昨今において、

表現主義者はいかにして一身を処すべきか。

主義といっても、イデオロギーの話ではない。
気質、体質、魂の質の問題。
つまり、変えられない事柄についての問題。
脱・表現の時代になったからといって、
表現主義者が表現をやめたという話は聞いたことがないし。

けっこう深刻に考えているのだが、
答えは出ない。

地上にて 


金で買えない 夜風