ありふれた孤立の夢 

誰かの後について行って、その人を見失う。
誰かとはぐれ、置き去りにされる。
道に迷って、帰り道がわからなくなる。


――このところ、ほとんど毎日、
そういった、孤立の夢ばかり見ている。

理由はおおむねはっきりしていて、
それは、自分が、おおむね孤立しはじめているからである。

自分はCDアルバムを作ることを生きる目標とし、
他人のCDアルバムのよき聴き手であろうと心がけて生きてきた。
CDアルバムの作り手として今後どうしたらいいのか、相談相手はいない。
(個人でddpファイル、すなわち量産CDのマスターファイルを作って千枚単位でプレスするのは、私にとって現実的ではない。)
CDアルバムの聴き手として今後どうしたらいいのかも、相談相手はいない。
(Amazonも、食指がそそれらるCDをおすすめしなくなった。みんなCDをプレスしなくなってきたのだろう。)

シンセサイザーの使い手になりたいと思ったのは小学生のころだった。
やがてシンセサイザーを使うようになって、
自分で何年もかけて音色を作り、それを自分の楽器とし、
その音色を土台に音楽を作ることをしてきた。
そして、シンセサイザーの進化が止まった。
シンセサイザーがソフト化され、OSの移ろいに合わせて買い換えるものに変化し、
長くても数時間、なるべくなら数十秒で音色設定をする時代が来ることは、考えていなかった。
自分の道を歩もうにも、音色を記憶させるメモリーの電池にも寿命がある。
どこへどう進めばいいか、相談相手はいない。

今にして思えば、
「このどん底から這い上がってやる!」
ともがいていた二十余年前が、もっとも活力に満ちた内面および外的環境であった気がする。
あれからじわじわと、蟻地獄のようにずり落ちながら今日まで生きてきた。
この先には、相談相手はいない。

ゲーム音楽を作って生活してきた。
この生活を始めるとき、
20年後には、自分は、何とかなっているか、死んでいるかだとばかり思っていた。
しかし、どうにもならず、死んでもいない。
この先なにをどうしたらいいのか、相談相手はいない。

年老いていく母とどう向き合ったらいいか、
相談相手はいない。

目がかすむ。わが身にも老いの始まりを感じる。
妻子はないが、老後に十分な蓄えもない。
この先どうしたらいいか、相談相手はいない。

どれもこれも、誰かに相談できる悩みでもない。
自力で解決できる悩みでもない。
誰かが解決してくれる悩みでもない。
悩みぬくこと自体を修行と捉えられるような、そんな悩みでもない。
人生に悩みは尽きない、と嘆けば済むような悩みでもない。

より深い層にある筈の神秘的な夢も見ないし、
解決を示してくれるような神秘夢も見ない。
孤立してどうにもならなくなるというモチーフの、簡単に分析できる夢ばかり見ている。
それは、孤立してどうにもならない状況だからである。
つまり、私は今、内界からも、外界からも、孤立しつつある。

このようなことを書くのはフェアではないのかもしれない。
ライブでは多くの人々に並々ならぬご尽力をいただき、
多くの方々に聴きに来ていただいている。
書いているブログだって、こうして読んでくださる人がいる。
考えれば考えるほど、私は、本当に、恵まれている。
周囲を見回すと、こんなに恵まれたミュージシャンは、この世にそれほどいないのではないか、とすら思えてくる。
多くの皆様に、いくら感謝しても、感謝しきれない。
それなのに孤立だなど、何をばかげたことを、と自分にあきれてみたりもする。

にもかかわらず、私は、
行き場を見失う夢を、ほとんど毎日見続けている。
ある夜は人ごみの中で同行者に置き去りにされ、
別の夜は静まり返った大都会で帰り道がわからなくなり、
私は最近、ほとんど毎晩、夢の中で、孤立し続けている。

ストライプハウスギャラリーに作品補充 

ストライプハウスギャラリーに、
舟沢作品を補充いたしました。
一部、品切れのものがあったようです。失礼いたしました。

時空間における「緑」の重奏 

拙作「」について、いくばくか言葉にしたことがあっただろうか、とブログ内を検索してみたが、見当たらなかった。
ライナーに記し、Webにも公開されている詩で十分だという思いもある。
詩以上のこと記して、主知主義的に受け取られることに対する警戒心もある。
詩以上のことを記して、聴く人の自由を阻害しはしないかという危惧もある。
そんなこんなで書いていなかったのかもしれない。

そして、以下に書くことも、もちろんのこと、
この曲について多少なりとも言語化できる部分の、全てではない。

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一つ目は、私の極めて個人的な、幼少時の強迫観念、そして悪夢のこと。
幼少時、私は、
「夕暮れの藪の小道で一人ぼっちにされる」
というヴィジョンに、しばしば苛まれていた。
雑木林の中に、人が一人通れる、曲がりくねった道ができている。
上のほうは生い茂った緑が迫ってきていて、空は全く見えない。
そういう場所で道に迷い、日が暮れていく。
そういうヴィジョンというか、予期不安のような何かに、
私はしばしば怯える子供であった。
夢にも見た。
夢の中では、その藪の小道の彼方に、
小さく、母の背中が見える。
慌てて母を追おうとするが、あっという間に見失う。
あとには、夕暮れと、全方位から迫ってくる深緑と、
雑木林のざわめきだけが残る。
その中で、一人ぼっちで、迫り来る闇に怯えている。
そんな夢を見ては、怯えて目覚める子供であった。

(余談だが、昨年、一人で鋸山という山に登ってきたのだが、夢で見た藪によく似た藪があった。
私は幼少時、一度両親に鋸山にハイキングに連れられて行ったので、その辺りのヴィジョンや体験が、記憶の底に何か攪拌されているのかもしれない。)

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二つ目は、1990年代に体験した、ある種の神秘体験のこと。
神秘学の文献における、
「現在よりも二つ前の宇宙において、我々人間は、現在の植物と比較しうるような存在であり、現在の人間の熟睡中と比較しうるような暗い意識状態にあった。そのことは、輪廻転生を重ねてきた我々の土台の一部であるので、“思い出す”ことが可能である。この時期の宇宙は、“太陽期”と呼ばれる」という記述。
「ある種の鉱物の色彩を体験するとき、その色彩体験に該当する過去の宇宙を、我々人間は追体験している」という講義。
当時流行していたニューエイジの一派が語っていた、「太陽の本質は緑色なのだ」という主張。
エメラルドを深く沈潜しつつ見つめるときの意識。
これらについて沈思黙考していたら、いつもの電車の中で、唐突にその体験はやってきた。
私が緑色だとも言えるし、緑色が私だとも言える意識状態。
意識が緑色と化したとも言えるし、全身が緑そのものと一体化したとも言える意識状態。
そこでは確かに、私は、緑色そのものであり、それは鉱物の内部のようでもあり、気体のようでもあり、ある種の光のような何かでもあった。
その、音楽体験と辛うじて比較しうる特異な神秘体験は、数十秒~数分続き、その余韻は半日ほど続いた。

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前述のように、これが全てはでないことは言うまでもないが、
こういった体験、ヴィジョン、思索などを積み重ね、
それを電子音としてプログラミングし、
プログラミングされたシンセサイザーを、
1時間ほど、文字通り全身で弾いたのが、「」である。
その時の意識状態や意志のありよう、体力のありようはもちろんのこと、
その“天啓が降りてくるようにプログラミングを行なった”シンセサイザーも下取りに出してしまったので、
二度と再現できない。

このプロセスは、多かれ少なかれ、いつものことだ。
幼少時の悪夢。大人になってからの思索と神秘体験。それを踏まえての更なる思索。そしてついに降りてくるプログラミング。それの実現。それを身体で演奏。それを録音として成立するように、更なる磨きこみ。

一瞬の出来事が、生涯を貫く。
生涯を貫く一瞬の出来事が、いくつも縫い合わされる。
それを、自律した一つの作品として、成立させる。
そしてそれは、録音の中に注ぎ込まれている。

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日付けが変わって昨日、「Dance Medium」という舞踏団さんが、
」を全編に使用して下さり、宮沢賢治をモチーフに舞踏を踊ってくださった。

拝見していてすぐに気付いたのは、
舞台背景に、照明によって描かれた文様である。
植物的とも、鉱物的とも受け取れる、有機的で幾何学的な文様。
これはまず、自分がこの曲を作る際に見たヴィジョンと通底していると気付いた。
そしてほどなくして、宮沢賢治自身が、植物とも鉱物ともつかない、“人間に通低している植物的、鉱物的な、宇宙的な過去のヴィジョン”らしきものを、数多く描き遺した人であることに気付いた。

ほどなくして、演者の皆さんの、奇声、掛け声。
これは確かに、幼少時に「暗い藪の中で一人にされて、聞こえて来たらどうしよう」と怯えた、その耳に聞こえぬ声と通低しているように聞こえた。

複雑につながっているのだ。

私の中に残り続ける幼少時の強迫観念も、
神秘学の宇宙に関する記述も、
私の一瞬の神秘体験も、
永遠であるに違いない鉱物の結晶の色彩も、
宮沢賢治の遺した走り書きのような絵画も、
その詩や小説も、
舞踏家が虚空に呼びかける奇声も、
一瞬と永遠、自分と他人、主観と客観、過去と現在の区別なく、
すべて、一つの“何か”として、
通低しながら、時空間を越えて、
いまも縫い合わされ続けているのだ。

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このようなことがなければ優れた芸術/芸術家ではない、などとは言わない。
そうでなくても素晴らしいものはいくらでもあるし、
そう思えなくても今の自分が知覚出来ないだけかもしれないし、
そうでないということ自体が“未来の断片”としての価値が高い、という考え方もあろう。
ただ、自分の仕事が、もはや時空間や主観客観をを越えた何かの一部である、という体験は、
滅多に経験するものではない。

珍しい経験であったので、文章化した次第です。
追記/補足を読む

終了:Yodaka-墜落という名の遥かなる飛翔 

Dance Medium 公演:
「Yodaka-墜落という名の遥かなる飛翔」
は、終了致しました。
ありがとうございました。

穴惑いと新たな孤独についての雑感 

夜中。見慣れない場所。
コンクリートとアスファルトばかりのビルの谷間だから、
かなりの都会であることがわかる。でも人の気配はない。
街灯もほとんどない。暗い。
駅も見当たらない。きっと電車も終わっていることだろう。
どこへ向かって歩けば自分の家に戻れるのか。
見覚えのある場所はないのか、
見覚えのある道にでも出くわさないかと、
ひたすら歩く。
どこまで行っても、見慣れないコンクリートの暗い街である。
かろうじてタクシーを拾ったが、
どこへ向かうように告げればいいかわからない。
わからないままに、タクシーが走り出す。
窓の外を見る。
どこまで行っても、見慣れないコンクリートの街である。
仕方なしにタクシーを降りる。
夜中。見慣れない場所。
どこへ向かって歩けば家に帰れるのだろう。

――ほとんど一晩中、延々とこのような夢を見ていた。

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目が覚めてから、亡父の晩年の俳句に出てくる、
「穴惑い」
という季語を思い出していた。
あなまどい。冬眠するための穴を、失うか、あるいはその場所がわからなくなったりして、冬にさまよっている蛇のこと。
父は晩年、自分の姿を「穴惑い」になぞらえた句をいくつか書いている。
時の流れ、世の中の変化はことのほかつらいことだったようで、
父は晩年、「牛や馬が見えない世の中になって寂しい」とでも言うような句も書いている。
新しいものに対する疎外感。違和感。それがひたすら積み重なっていったのだろうか。
ボールペンも無い時代に育ち、ワープロにまで適応し抜いた父。
インターネットや携帯を、あまり理解できない様子だった父。

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この世に対する猛烈な違和感。
それが若者に特有のものであるかどうか、
私には、よくわからない。
そもそも、「この世に対して猛烈な違和感を感じている」という人に逢っても、
それが自分が抱えるものと同じだと感じることは、比較的少ないような気がしている。
(H・ヘッセも似たような述懐しているのをどこかで読んだ気がする。)
おそらく、年齢とともに徐々に折り合いがついていく違和感と、
もっと根源的な、生来の違和感というものが存在していて、
それらは他人からは同じもののように見えるのかもしれない。

最近、そういった“生来抱える根源的な違和感”や、
“年とともに折り合いがついていく違和感”に、加わってきたのか、
あるいはそういった違和感とゆっくりと入れ替わっているのかわからないが、
「この世が見知らぬものになっていく。帰りたいのだが帰れない」
という、言葉にすると大して変わらないけれど、
体験としては別種のヴィジョンに苛まれる事が増えてきた。

年をとったのかもしれない。
追記/補足を読む

終了:「元型ドローンVol,3」 

舟沢虫雄 電子持続音による即興ライブ
元型ドローンVol,3
は、終了いたしました。
ご来場の皆様、ありがとうございました。
追記/補足を読む