太陽の反論 

真っ暗なことを 考えて
長い間 歩いていると
太陽が 反論してくる

私は 全身で 太陽の 反論を 聞く


終了:「夢みるお七の海鼠夜話」 

ワタル&横滑ナナ 舞踏公演
「夢みるお七の海鼠夜話」
は、終了いたしました。
ありがとうございました。
追記/補足を読む

招待券の常識 

招待券には、たぶん、常識が、ありません。
どういう時に招待券を発行するのか。
招待券が送られてきたら、どう行動するのか。
絶対的な正解は、ありません。

ですが、招待券には、常識がある、と考えている方が、
世の中にはかなり多くおられます。

まず、主に舞踏やパフォーマンス、演劇などの世界で、
相当な量の招待券を発行するものだという常識を持っている方々が、
一定数おられるようです。

その人たちは、批評家や雑誌記者など、
数十人に宛てて招待券を郵送しているようです。
そして、その中から一人でも二人でも観に来てくれればいい、
あわよくば記事にして宣伝に寄与して欲しい、
と考えているようです。

そういう招待券を受け取る批評家さんや記者の方々は、
おそらく、来る日も来る日も、あちこちから様々な招待券が郵送されてくるのでしょう。
そういう方々が、「しょうがないな、今日は時間があるからこれを観てやるか」と思って観に行くようなメンタリティーになっても、それほど不思議ではありません。
さらに言えば、「自分は批評家なのだから(あるいは有力な記者なのだから)、招待されて観てやるのが当然だ、招待券が来ない公演は、制作が手違いを起こしているんだ。全く困ったものだ」と思うようになるケースがあっても、それほど不思議ではありません。

舞踏公演の会場ロビーなどで、
「俺は批評家だ。入れろ」
「当日券をご希望ですか」
「何を言っておる。俺は批評家の○○だ。入れろ。」
「ご招待名簿にありません」
「だから俺は批評家だから入れろ!」
というトラブルを、何度か耳にしたことがあります。
舟沢が記憶しているのは20世紀の頃の事ですので、
いま現在どの程度起こりうるのかわかりませんが、
批評家の方々の中に、
「招待されていなくても自分は無料で入れるのだ」
と確信している方々が、少なくとも20世紀には、おられました。
これなどは、
「一人でも批評家の方に観て頂きたい」
と招待券を大量発行する常識を持った作り手と、
それを受け取り続けて「自分はただで観れるもの」と思ってしまった受け手側の常識が、
じつは非常に限定された内輪の常識であったという、
不幸な例と言えるでしょう。

コンサートなどの常識で、まれに、
「招待券一枚で何人でも入れるものだ」
という常識を持っている方がおられることを知ったとき、
舟沢は、静かに驚いた記憶があります。
どうもお話を聞いていると――
(地方の)クラシックコンサートなどは、
数多くの人々の尽力で成り立っており、
それでいて客は殆ど入らない。
なので、楽団員に招待券を配り、
それ一枚で家族皆さんでどうぞ、
っていうのが常識ってもんでしょ、
――という考えの方が、おられるようなのです。
地方のホールのクラシックの自主公演であれば、
席はすべて自由席でしょうから、
席の重複は起きないし、混雑の心配もない。
だから家族で客席を埋めた方が、
演者にとっても客にとってもいいことであると。

逆に、コンサートで、
招待券を1枚もらったら、必ず1人行かなければならない、
という常識もあります。
行けないなら早めに制作(主催者側)に連絡をしなければならない。
つまり、人気のコンサートですと、
客席が満員で、招待券を決まった数しか用意できない。
その席は、聴くのに適したいい席、かつ目立つ席であるので、
空席になるのは避けなければならない、
という、常識です。
こういう場合、大抵は
「招待券は何枚必要ですか、お早めにご回答下さい」とか、
「ご招待したいのですがおいでになりますか」など、
来るか来ないかの確認がくるものです。
「おれ、結構尽力したのに、招待してくれなかった」
という思いを抱いても、あきらめるしかありません。
向こうだって、「招待席はこの席数しか用意できない。どうしよう」
と思い悩んでいるかも知れません。(悩んでないかも知れないですけど‥)

で、上記の二つ、
「招待券は1枚で何人でも入れる」常識と、
「招待券はもらったら必ず枚数分の人数で行かなければならず、欠席も迷惑である」という常識が、
ぶつかり合ったときに、トラブルになります。
客席は満席。
招待席もぴったり発行している。
そこに、招待された人が、遠路はるばる、家族で来てしまう。
招待されたから来てやったんだ!私たちはどうしても隣り合わせて座りたいんだ!と、トラブルになる。
こういう場合、かなりの確率で、「無礼を働いても許される、作り手側の人」に、そのしわ寄せが行くことになります。
その曲の作曲者とか、主催者側の重要な誰かとかが、
照明機材の横でうずくまって見てたりとか、
立ち見だったりとか、そういうことになります。
(もちろん、作曲者や主催者などが、ああ今日は客席で観る空気じゃないな、と思ったりとか、お客さんの反応も観察したいから後ろの席がいいなとか思っているなど、様々なケースがありますので、作曲者や主催者側の重要人物が招待席ではないところにいるのを見かけても、必ずしも何かトラブルがあったというわけではありません。あしからず。)

そういうわけで、
招待席を扱うのは、公演のプロデュースでも、
とりわけ煩わしい、トラブルの多い分野です。
予算が潤沢にある公演でしたら、
招待券専門のスタッフを雇っていたりするほどです。
ですが、招待席の怖さ、煩わしさを、
舞台を作る人々がみんな知っているわけでもありません。
(知ってたら上記のようなトラブルは起こらないわけですから)
そして、招待券、招待席専用のスタッフを確保して、従事させることが出来るほど予算の潤沢な舞台は、非常に少ないと思います。

舟沢自身、招待券を頂いて、
「ん?これは行っても行かなくてもいいやつか?
行かないならその旨連絡すべきやつか?
行ったら公演後に向こうに挨拶をすべきやつか?」
と、わからなくなることがあります。

とりわけ困ったことになりやすいのは、
2枚送られてくるケース。

確かに自分は、招待券を頂くほどの尽力は、した。
だが、なぜ、招待券が2枚送られてきたのか。
チラシを見ると、全席自由であるので、
2人で行かないと迷惑になる、という事ではなさそうだ。
おそらく「二人連れできてもいいですよ」という意味で、
念のため1枚多めに送ってきたのだろう。
しかし、この1枚を、どうしたものか。
この舞台に尽力した身としては、捨てるのも忍びないし。
そうだ、あの人を誘ってみよう。
――と、1人を「招待券が余ったのでいかがですか」と、誘う。
ところが、その人は冒頭で挙げた「招待券1枚で何人でも入れる」という常識の人だったのか、直前になって
「あと一人ー。どうしてもあとひとりねー。」
と気軽に私に連絡を入れてくる。

しかし、私と主催者側は気軽に「もうひとり。計3人ねー」と気軽に言える関係ではないし、
公演前夜に「気持ちを作ってる」出演者に向かって、招待席の数の相談の電話を入れるほどデリカシーのない行動もとれない。
で、どうするかというと、
当日早めに行って当日券を1枚買い、
やってきた二人に自分の分を含めた招待券を渡し、
自分は何も言わず当日券で入場する。
そんなことも、何度かありました。
(このブログ、その方も読まれるかも知れないのでなんとなく気まずいのですが、実は招待券というのは多様な常識の中で空気を読みながら取り扱うものだということを記事にしたくて、ここに書きました。何卒ご了承下さい。)

かく言う舟沢も、自分のライブに関して、
「この人は招待すべきか?
だとしたら、あの人を招待しないわけに行かなくないか?」
という正解のない問いに、思い悩むことがあります。
一応、舟沢の中で出した個人的な答えは、
「公演の根幹にご尽力頂き、なおかつ、本来ならお金を払ってしかるべき方は、ご招待。」
というものであります。
機材を貸して下さっているとか。
フライヤーのデザインをして下さっているとか。
他人が抱いている常識とか、宣伝とか、
「この人にはタダでも観に来て頂きたい!」って方とか、
考え出すと到底考えきれなくなりますので、
舟沢の場合は、今のところ、この“常識”でご招待をしております。

それも、公演の規模が大きくなれば把握しきれなくなるでしょうし、
今後、ライブハウスやクラブに出させて頂く機会でもあれば、
そこには全く違った常識が待っていることでしょうから、
この世俗的な悩みは、ずっと付きまとうことでありましょう。

てゆうか、これを書いている今でも、
自分が本当に失礼なしに行動出来ているかどうか、
わかりません。しばしば、不安になります。
しかし、招待券については、これほどまでに常識が多様なのですから、
なにをやっても誰かにとっては「非常識」となるわけで、
たぶん、完璧は、無理なのだと思います。

改造 

愛用しているJ.M.T Synthさんの名前のないシンセですが、
自分好みに改造できないかメーカーさんに相談してみたら、
無事改造して頂くことが出来ました。
感謝、感謝でございます。

どこをどう改造して頂いたかは、内緒とさせて頂きます(笑)。