知識と経験の“横”に遍在するもの  

昔の話をする。
何年だったか忘れたし、
細かいところは記憶が途切れ途切れになっている。

1980年代末〜90年代初頭あたり、
私は、とあるコンサートに行った。
今で言う「インストアライブ」のようなもので、
普段はアートショップ+CDショップ+カフェのような空間で、
テーブルや椅子を片付け、
コンサートをする、ということだった。
来日して演奏するのは、ミュージシャンというよりは、
今風に言うと「サウンドアーティスト」というべきか、
音響彫刻や、彫刻に非常に近い自作楽器を作り、
ご自分で即興演奏なさる方であった。

私は、かなり早く会場に着いた。
何かがおかしい、と思った。
その会場は行き慣れた場所だったのだが、
いつもと変わらない。
いつものようにアートショップがあり、
いつものようにCDショップがあり、
いつものようにカフェがあって、
いつものように、お客さんがくつろいでいる。
つまり、何の準備もされていないのだ。
日にちを間違えたか、とも思った。

やがて、目の前で不思議な光景が繰り広げられた。
コンサート開演の、1時間前だったか、30分前だったか、忘れた。
とにかく、時間が迫って、ライブ目当てのお客さんが集まり始めた時点で、
カフェのテーブルが片付けられ始めた。
そして、その、お客さんが入り始めた段階で、
PA(音響)の搬入が始まった。

当時の時代としても、
コンサートをするためには、
PAをセッティングし、
リハーサルをしてからライブをやるのは、
当たり前だったと思う。
大規模なコンサート、小規模なコンサート、
ライブハウス、TV番組、カラオケ大会、学園祭、
どこへ行っても、「100%のぶっつけ本番」というのは、なかった。
当時の常識として、PAは、
・搬入
・セッティング
・回線チェック
ここまではどこでも必ずやるもので、
回線チェックの後に行うサウンドチェック、リハーサル、ゲネなどを、
どのぐらい入念にやるのかは、
状況によって変化するものだった。
(ソロライブならサウンドチェックが数時間の場合もあるし、
TVの収録であればサウンドチェックが数分のこともある。
演説や講演会であれば、リハ以降がない、ということもありうる。)

なので、お客さんが入るのと同時にPAの搬入が始まる、
というのは、当時としても非常に不思議な光景であった。
開演時間が近づくにつれ、
スピーカーが設置され、マイクが並べられ、
配線されていく。
いかに簡易なコンサートといえども、
これでは回線チェックもできないし、
音量も決められないし、
ハウリングを起こさない調整も、
何もかも、できないではないか。
コンサートをやるなら、カフェを早めに閉じて、
サウンドチェックをしなければならないはずなのに。
いったいこれは何が起きているのだろう。

唖然としているうちに、開演時間になった。
どういう司会進行だったか詳細は忘れたが、
概ね、そのアーティストの「音響彫刻作品」のスライドを上映し、
ご本人の解説で見ていくのが前半。
そこに、通訳の方や、見解を述べられる日本の作曲家の方もおられたと思う。
そして、後半、そのアーティストの演奏が行われる、
という流れであった。

かなり早い段階で、頻繁にハウリングが始まった。
当たり前である。
ついさっきマイクを並べて、スピーカーを置いて、
配線したばかりではないか。
誰がどうしゃべるのか、
マイクと人との距離をどうするか、
そもそも自作楽器がどういう音を出すのか、
何もかも確かめていないではないか。
その自作楽器は、非常に小さな音のものであったし、
マイクの距離や角度を決める時間すら、与えられていない。
会場的にスピーカーの位置も選択の余地はないし、
これではどんな優秀なエンジニアでも、
ハウリングなしに1発でコンサートを成立させるなんて、
できっこない。絶対に。

ところが、鳴り続けるハウリングに、
来日なさったアーティスト氏も、非難の眼差しをPA席に送っておられる。
やがて、同席していた日本の作曲家の先生が、
憤激に駆られた表情で、席を立った。
PA席の方角に何か怒りのしぐさをして、
メインのスピーカーを、ご自分の手で、
力いっぱい「ぐるん」と90度傾けてしまった。

当時の常識としても、
いかに主催者側であっても、音楽家であっても、
音響の、しかもメインのスピーカーの向きを勝手に変えてしまうのは、
ありえないことであった。
第一、お客さんに向いているスピーカーを
本番中に勝手に動かされたら、
PAさんは益々責任ある音が出せないではないか。

心配してPA席を見ると、
PAオペレーターの人は、
怒っているのか、悲しんでいるのか、絶望しているのか、
あるいはそのすべてか、
読み取れない沈鬱な無表情で、うつむいていた。

コンサートが終わり、家に戻り、
1日経ち、1週間経ち、1年経つうちに、
遅発性ショックのように、事態が飲み込めてきた。

誰も知らなかったのだ。

アートショップ経営の主催者サイドも、
普段音響彫刻をしているアーティストさんも、
同席していた作曲家先生も、
あの場にいた全員が、
どんな小規模なコンサートであっても、
小さなライブハウスでも、カラオケ大会ですら、
絶対にやらなければならないPAの手順が存在すること、
それをやるためにはあらかじめ早めにショップを閉じて、
その手順を踏む時間を作らなければならないこと、
音に関係している人ならプロアマ問わず絶対に知っているはずのことを、
PAを手配した人も、当日のスケジュールを組んだ人も、出演している人も、
全員が、知らなかったのだ。

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あれから何十年か経って、
“ありえない無知”というものが、
この世に遍在するらしいことを、
私は非常にゆっくりと、学んできた。
あの時、PAさんに非難の眼差しを向けていた音響アーティスト氏も、
コンサートが初めてだった筈がないし、
怒りの表情でスピーカーを90度曲げた作曲家の先生だって、
並大抵の方ではない。
運営していた方々だって、並大抵の知見の方々ではなかった。
それでも、コンサートの常識を、全員が、知らなかった(としか思えない)。

制作・プロデュースということを考える。
ものすごい高学歴の方が、
スタッフのお弁当の手配にすら汲々とするのは、
想像もつかないほど広範かつ瑣末な知識と判断と行動が求められるからだろし、
相当な経験を積んだプロデューサー、出演者同士であっても、
相手を「常識的にありえない」といって、トラブルになるケースも耳にする。
知っておかなければならないこと、やらなければならないことが、
この世の中には、想像もつかないほど、多いのだ。

私自身、相手を「こんなこともわからないだなんて」と思うこともあれば、
逆に「お前、ほんとに何にもわからないんだな。」と言われて、
何年考えたって“何を言われたのかすらわからない”こともある。
結局は「自分にはわからないことがたくさんある」という自戒を胸に、
自己教育していくしかないのだが、
おぞましいことに、
「自分にはわからないことがある」という謙虚な思考につけ込んで、
他人に責任を押し付ける事で世の中を生き抜いている人すらいる。

何年経験を積んでも、
一歩横にずれれば、その経験は、通用しない。
もう充分経験を積んだ、と思っても、
その経験は数年で通用しなくなる。

それに、芸術家の多くが体験的に知っている事だろうが、
作品に集中すると、周囲のことがみるみる煩わしくなったり、
そもそも認識できなくなったりするものだ。
(俳優は役作りの最中に照明の消費電流について考えられないだろうし、
演奏家はライブ本番前に受付の釣り銭の心配をしたくない。)

人にお願いする、つまりアウトソースするにしても、
何をどこにどうお願いするのかの知識と経験が必要になり、
その状況とノウハウはみるみる変化していく。

――つくづく、生きていくのは難しい。
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舟沢虫雄 (Mushio FUNAZWA) 電子持続音ライブ
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