リバーブとしての時代と、その外側からの差し込み 

猛烈な情報量で、何もかもが過去と複雑に関係している。
何もかも繋がりながら、何もかも砕けていく。
何もかも混じり合いながら、離ればなれになって、減衰していく。
そう考えると、21世紀というのは、19~20世紀の、
巨大なリバーブ(残響)のような気もしてきます。

一方、今、自分の身に起きていることが、
過去の延長線上にはない、
という実感も、体験することがあります。
これは確かに物語ではあるけれど、
既存のいかなる文脈にも属していない、という体験。
それを体験している最中は、
これは確かに過去の延長線上にないものだ、
という実感があるのですが、
終わってみると、なぜそれが起きたのか、
そしてなぜそれが終わったのか、
それはやはり、過去から未来への、
通常の時間軸に生じていたのであって、
それを自分が見通せなかっただけではないのか、
などと思いたくなってきてしまいます。
それほどまでに、通常の思考では捉えづらい“差し込み”。

歴史は衰退の相を露わにしていますが、
そんな時空にあっても、
“超歴史的なるもの”は差し込んでくるのです。
当然といえば当然ですが、
不思議といえば不思議なものですね。
追記/補足を読む

擦過傷 

コンクリートの壁に擦過傷のようなものが続く。
よく見ればそれは、掃除をしようとした跡だと判る。



放っておくことはできなかった。
やり遂げることもできなかった。
やらない方が良かった、とは言えない。
ただただ、ありのままではいられなかったのだ。

そうして擦過傷が残る。