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これで少しは見やすくなっているかと存じます。

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追記/補足を読む

思っていないことを書くべきだったのだろうか 

私は、文章を書くことが、
なんというか、それほど苦にならない方だと思う。

学生だった昭和時代には、
音楽はともかく、お前の文章は金になるはずだ、
などと言われたこともあった。

だが、そんな縁はほとんど繋がることなく、
年月は過ぎていった。

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インターネットというものが出現し、
ある程度普及し、
ネット上の文章が、
それなりの価値を持ち始めた時代、
一度だけ、プロとしての文章の世界に、
『繋がりかかった』ことがある。

Web上の記事のオファーであった。

ギャラの提示はない。
ないが、執筆のオファーであることに違いはなかった。

ほかのコンテンツ業界を見渡すに、
ノーギャラの仕事をいくつもこなして、
お金をもらえなくたって、やれること自体がうれしいです、
というスタンスでひたすらやっていくうちに、
お金をもらえる仕事がぽつりぽつりと舞い込み始める、
そういうものであることは理解していたので、
文章を書くこと自体がそれほど苦にならない身としては、
あそこで頑張って、食らいついていけば、
ひょっとしたら、プロのライターへの道も、
あったのかもしれないなぁ、
少なくとも、小遣い稼ぎぐらいにまでは、
なった可能性もあるなぁ、
そんな風に、今でもぼんやりと思い返す。

そのオファーは、お断りしてしまった。

お断りした理由はシンプルなもので、
オファーされた内容が、
『私が思っていないこと』
だったから。

「『●●は▲▲である』というテーマで書いてほしい」。

この『●●は▲▲である』が、私が思っていないことだったのだ。

特定を避けるため、●●と▲▲が何であったのかを直接書くことは控えるが、
たとえて言うなら、

「スピーカーケーブルは打楽器である」
「サッカーは演歌である」
「コンピューターは広葉樹である」

そんな風に、私が全くそうだと思っていないこと、便宜上その立場に立ってその主張をすることすら、いくら考えても到底できないような、そんな主張であった。

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身の回りに文筆業の方がおられないのでわからないが、
いざ仕事となれば、自分に興味がない事柄でも、
「この新人アイドルの可愛らしさについて来週までに何文字」とか、
「あの政治家をこの件で罵倒する文章を明日までに何文字」とか、
書けと言われれば書くのだろうなと、
ぼんやりとイメージはするものの、
『●●は▲▲である』という見解について、
私にはその通りだとは全く思えなかったし、
仮にそうだという設定にして、論を展開する想像力も、全く働かなかった。

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お断りしてから、
「絶対に無理なことだったのだから、お断りして正しかったのだ」という意識と、
「私はひょっとしたら、千載一遇のチャンスを逃してしまったのかもしれない」という意識が、
時折、浮かんでは消えるようになった。

絶対に無理な主張を行えば、
「あいつは絶対に無理な文章を書くことができる」と、
仕事が来るようになったのだろうか、とか、

このお断りからかなりの年月が経ってから、
『炎上マーケティング』という言葉が出回りはじめ、
ああ、無茶苦茶な主張をして、
その通りだ、と同調する無茶苦茶な人と、
間違ってる、と怒る人を呼び寄せてお金にする、
そういうやり方があったのだな、とか、

書籍や雑誌以外にも文章の仕事はたくさんあり、
本人への取材なしにインタビューしたかのような文章を作成して広報として発信したり、
編集の範囲とは到底言えないような文章の書き換えを行って正式・公式文章として他人の名義で発表し、
そのことを、書き換えたとも、嘘をついたとも、やってはいけないことをしたとも、人を傷つけているとも、まったく思いもしない、指摘されても理解できない人だけで構成されている集団・部署が、この世の中には一定の割合で遍在していることが見えてきたり、とか、

人生経験を積み、見分が広がるたびに、
あの無茶苦茶なオファーに応じて、
無茶苦茶な文章をひねり出したら、
自分の人生はどうなっていたのかな、
どの程度やってよかったと思い、
どの程度後悔したのかな、などと、
時々、思い返している。

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noteという、ネット上の自費出版のようなものが現れて、ああ、こういうものができたのか、
でももう書きたい内容思い浮かばないなぁ、まあ思い浮かんだらやってもいいかな、などと思って、
もう、何年になるだろう。

生きてるうちに書き残さなくちゃ、という文章や、
生きてるうちに書いといてくださいよ、と他人から請われるような文章は、
大抵の場合、もう書いてしまったか、
不特定多数に向けて公開するようなものではなく、
特定の人に向けてピンポイントで『書き置き』しておくものになってきた。

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とある高名な小説家さんが、
「自分は書いた小説を編集者に渡す。それで終わり。何の問題もない」と書いておられたり、
また別の高名な小説家さんは、
「自分ばっかり著者ってことで印税もらって本当に申し訳ない」
と語っておられたり、

おそらく、文章の世界も、音の世界のように多様で、
その人ごとにルールがあるものなのだろう。

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触れそうで触れることのなかった文筆の世界、
こうして、別の天体を観測するように、
遠くから眺めて、年老いていくのだろうか。

そうかもしれないし、そうではないかもしれない。
わからない。

さすがにもう今から、
「思っていないこと」を書いて稼ぎたいなどとは思わないが、
運と縁とタイミングとスケジュールと、
思ってる通りの内容。
そんな仕事が、あるものなのかどうか。

わからない。
あってもいいし、まあ、この歳になると、なくたっていい。