忘却と根幹 

魂に傷が入り、
長い年月をかけて治癒し、
遂には忘れ、
さらに長い年月が過ぎた後に、

唐突にそれは、
治ったというより、
さらに深い場所に移行していたのだ、
と気づくことがある。

血肉になるよりさらに深く、
骨にまで沁みこんで、自分の根幹と一体化しており、
もう、自分と切り離すことはできなくなっている。

考えてみれば、それは傷に限ったことではない。
言葉だって、歩き方だって、
覚えた時のことは、覚えていない。

忘れるということは、しばしば、
自分の根幹になる、ということであるらしい。

最近、忘れていたことを骨から思い出すことが増え、
それとともに、身近なことを忘れてしまうことが増えた。

忘れてしまうものごとと、
年を取って顕れる根幹と。

存在しない音を計測する際に 

存在しない音を存在する音に変化させるためには、
存在しない音を、少しでも、計測可能なものにしていかなければならない。

まず、まだ存在していない音を思い浮かべる。
それを脳内で鳴らした瞬間にストップウォッチを押し、
それが脳内で鳴りやんだ瞬間にストップウォッチを押す。
これを何度も繰り返していくうちに、
ああ、この音は1.5秒ぐらいの音なのだな、
などと、ある程度数値化のとっかかりにはなる。

実は、「無音」も同じ。
曲と曲の間の「無音」がどのぐらいの長さが適切なのか、
目を閉じて、曲の終わりから通して聴き、
鳴りやんだ瞬間にストップウォッチを押し、
ここだ、この瞬間にこそ次の曲が始まるべきなのだ、
という瞬間に、ストップウォッチを押す。

CDアルバムの曲間などはこのようにして作られていたし、
現在でも、複数の曲を通して鳴らさなければならない
状況下での無音制作は、概ねこのようなものである。

波形を移動したって、適切な『間』は作れない。
まだ存在していない音であろうが、無音だろうが、
結局は渾身で聞き取って、
ストップウォッチにタイミングを、いわば「体から放出」し、数値を計測する。

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諸事情あって、
30年以上愛用していたストップウォッチを、手放した。

目を閉じて、「体からタイミングを放出する」必要があるので、
もちろん、スマホは代用できない。

せっかくだからいいものを買おう、
と思ったのがいけなかったようで、
新しく買ったストップウォッチが、ひどく使いづらい。
操作も複雑だし、何より、ボタンが固い。
そのボタンも、何やら2段階にクリックが来るように(おそらくは意図的に)作ってあって、ひどく押しづらい。
スポーツの計測には、この固いボタンと2段階クリックが便利なのだろうか。
(検索しても出てこなかった)
目を閉じてスイッチを押し、もう1回押しても、
スイッチを押し損ねて、計測できないことが増えてしまった。

考えてみれば、
「存在しない音や、無音を全身で計測する」
というニーズをメーカーも店員さんも把握するはずもなく、

思い返せば、手放したストップウォッチだって、
30年以上前、まだオタクの街に変貌する前の殺伐たる秋葉原で、
今はもうないビル内の、今はもうない店の店員さんに、
マウントされ、あしらわれ、怒鳴られながら、
貧しい中、何台か買い損した末に、
ようやくたどり着いたものであった。

ボタンが軽くて反応が良いこと。
操作音が切れること。

近年は操作音が切れるかどうか表示されていることが多くなったが、
実店舗に行ってもボタンの押し心地まで試せることはまずない。
(どこかにはあるかもしれないが、今となっては交通費とストップウォッチ購入代は、大差ないと思える)

とりあえず、30年以上使ったストップウォッチを手放し、
次に購入した自分の用途には使いづらかった、
「かなり高価なストップウォッチ」も手放し、

最近購入して使い始めたのは、

SEIKO ADMD008



操作音も(ストップウォッチ用途としては)切っておけるし、
一つ前に手放した高級ストップウォッチよりボタンも軽い。
文字も大きく老眼にやさしい。

これでもまだ若干ボタンが固いのと、
操作音は消せるものの、
スイッチ自体の物理音が結構カチッと鳴ってしまうので、
「存在しない音や、無音を全身で計測する」、
という用途に完全一致とまではいかないが、
しばらくはこのまま行って、
体がこのストップウォッチに慣れなければ、
また買い替えることにしよう。(贅沢な話だ)

30年以上使ったものよりさらに前、
40年近く前に一時期使っていたストップウォッチは安物で、
動作音を設定で消すことができなかったが、
中を開けてスピーカー自体を取り去ることができた。
ボタンも軽く、用途に極めて適してはいたが、
数年で壊れた。

ひょっとすると、安物の中に、
自分の用途に適したストップウォッチがあるのかもしれない。

だが、しばらくは、このストップウォッチで行く。

老化と屹立 



棄てられる前に 或いは
棄てられた後に 使われている
超えられないものを 見上げる

それが 対峙するものではなく
むしろ 自分の姿のように 思えてくる

そんな風に 年を取る