一面的かつ有害だけれど 

極寒のクリスマスに、暖房の無い石造りの教会で、
3時間も4時間も硬い椅子に座って聴かないと、
受難曲を聴いたことにはならない。

見て、見て、見つめ続けて、
立っていられなくなって、
椅子が必要になるまで見つめ続けないと、
一枚の絵画を見たことにはならない。

観衆が一人のこらず息をひそめ、
暗闇の中で同じ方向を見つめ続け、
そこに一条の光が差さないと、
映画を観たことにはならない。

誰にも邪魔されない、たった一人の時空で、
全身全霊で、曲と曲の間の無音をも休符として感じ取って、
最初から最後まで一瞬たりとも集中を切らさずに、
音に自分を埋没させないと、
アルバム1枚聴いたことにはならない。


正しいことを言い、
正しいことを行なっても、
正しい結果が得られるとは限らない。
正しいことというのは、常に一面的なものだからだ。
正しいことがしばしば有害なのはそのためだ。
だからむやみに、正しいことを人に勧めてはならない。

―しかし、正しいことには変わりは無い。

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