多忙ジレンマに意味を見出せるか 

スケジュールをパソコンで管理していて、ふと、
今年に入ってからの作業量に愕然とする。
なんでこんなに雑多な作業で生活が埋め尽くされている?
なんでこれほどの作業がこなせている?

‥そう思って、よく考えるとむしろ、
こちらのほうが普通の大人なのだろう、と思う。

作曲家なのに作曲する時間が移動中の電車の中しかないとか、
1時間のラップトップトラックを15分で作ってライブハウスで聴かせきっちゃうとか、
そんな無茶な話はいくらでも聞く。
恐ろしいのは、それが「無茶だ」ということがわからなくなること。
私は「この曲作るのに2時間もかかった。自信作!」って自作を発表してる若者に慄然とする。
イメージ~作曲~トラックメイク~レコーディング~ミキシングまでで2時間‥

私は、1曲のレコーディングに最長5ヶ月かけたことがある。

もうそんな時代ではないことは重々承知の上だが、
先進国の人々の大半が食べすぎに苦しんでいるように、
音楽の摂取量も明らかに多すぎるのだ。
だから、音楽を作る人は、有料無料を問わず、
「世に出す価値があるかどうか」をよくよく自問してみてほしいと思う。
しかしここにもジレンマがある。
沢山発表しなければ活動していると思ってもらえないのだ。
思い出した。ファウストの中で道化は詩人に語る。
「いいインスピレーションがあるなら、それを10倍に薄めて10個作れ」
このジレンマは意外と古いものだったか。

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