愚者の思考の足跡 

あほはあほなりに考える。
経済が所謂“スーパーシステム”だとしたら、
グローバル経済は“おのずからこわれない”、ということになる。
カースト制を思い出す。現存する最古の都市階級社会。
グローバル経済はスーパーシステムが発動するほど多様だろうか、と考える。
わからない。
インターネットは多様だろうか、と考えてもわからないのと同じ。
外から見れば何も無いに等しいし、
内から見れば無限のような錯覚すら覚える。
この逃げ場の無い経済世界の伽藍から抜け出すには、
経済以外の物質力の遮断が必要なのかもしれない。
無論、化石燃料と二酸化炭素と、放射能つきクリーンエネルギーのこと。
しかし、そんなことに耐えられるだろうかと、
ガスファンヒーターで足を暖めながらノートパソコンの前で考える。
全く逆に、グローバル経済がまだ多様過ぎることに苛立つ自分に気付くこともある。
ドルどころか、ユーロ、ポンド圏の人にすら私のCDは買いづらい。
一律で海外販売をお願いしているお店は、売れたらドル小切手の郵送になる予定だ。
ドル小切手の換金手数料を銀行に聞いて驚く。
掲示板を徘徊すると、「いつの日か自動レート変換で日本の銀行に入金される日が来るまで、支払いをプールしとく」なんて人もいる。
一様でないことへの烈しい苛立ちと、多様さへの切実な希求。
緩衝材。
キューバの音楽と知恵深い女性達。
日本で言えば神社の掃き掃除。寺の雑巾がけ。プロジェクトX。
(労働と宗教感情が結びついているのは世界的に極めて珍しいのだそうだ)

いずれにしろ、いまのままではなにかが足りない。
なにかが。

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