ローデリウスさんに言いたかったこと
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―『谷内六郎文庫』を読み終えて、複雑な思いでいた。
本の中で彼は、私にとって、もう決して帰ってはこない、決して取り戻すことの出来ない懐かしい日本に住み、
その(私にとって懐かしい)日本に落胆しながら、私の知らない日本を懐かしんでいる。
私は、彼の描く「ぼくの子供のころ」を、殆ど理解することが出来ない。
--------------------
myspaceで、ハンス・ヨアヒム・ローデリウスさんからフレンド・リクエストが来たとき、私は「へえ、またマニアックな人のファンサイトを作った人がいるねぇ」と思いながらフレンド認可した。あるいはマネージャーさんかスタッフさんが作ったのかな、と。
(ブライアン・イーノさんのmyspaceは明らかにファンサイトだし、マイケル・ブルックさんのmyspaceはスタッフさんが作っている。“フレンド”になると「マイケルの今後のスケジュールです」というスタッフさんの書き込みが見れるようになるのだ。)
ところが、ローデリウスさんからのメッセージを読むと、どうも私にはご本人に思えるのだ。
証拠はない。公式サイトにリンクされていないし。あるいはスタッフさんが代読、代筆しているのかもしれない。でもとにかく、物凄くご本人っぽいのだ。
頂いた私信はここではもちろん公開しないが、ローデリウスさんに返事を書こうと思ったものの、私の英語力では全く不可能だ。翻訳ソフトでどうにかこうにか伝えたいことの3分の1くらいは英語にして、やっと送った。
そのとき私がローデリウスさんに伝えたかったことというのが、私が谷内六郎さんの絵や文を読んだり、“ナンバ歩き”を知ったりして、いつか文章にまとめて自分の公式サイトに載せようか、と思っていた内容と殆ど同じであった。
そういうわけで、
ここで、私がローデリウスさんに送った“3分の1メッセージ”ではなく、
私がローデリウスさんに伝えたかったことを、
私信的な部分を除いた日本語の状態で記しておく。
(つまり、これはローデリウスさんに実際に送った文章の日本語訳ではなく、私の真意のなかで、公開しても差し支えない部分を文章化したものである。)
--------------------
ローデリウス様
メッセージをありがとうございます。
私はあなたのレコードやCDの幾つかを持っています。今ちょっとタイトルが思い出せないのですが、KORGのPoly61を弾いてらっしゃるとクレジットされているレコードが好きで、若い頃よく聴いたものです。
さて。日本についてですが、
恐れながら、日本はあなたがお考えになるほど深い伝統を持ってはおりません。
近年、日本で興味深い発見がありました。江戸時代までの日本人は、歩くときに右手と右足、左手と左足を同時に出していたというのです。
現在の「普通」の歩き方は、イギリス軍がサムライに訓練で教え、侍たちが教師や警官や官僚などになって大衆に教えて浸透していったもののようです。
他にも日本では、いわゆる「サムライの時代」が終わったときに、「家族とは何か」「父親とは何か」「職業とは何か」といった社会の基本構造を、非常に人工的に、強制的に取り決めた形跡があります。
19世紀末に、日本は伝統の殆どを捨て去りました。これはいわば、日本の「ファースト・インパクト」です。
日本の「セカンド・インパクト」は第二次世界大戦が終わったときに生じました。そのときにも、日本人は伝統の大半を捨て去りました。
(余談ですが、私は10代の大半を、伝統に非常に厳しい学校と地域社会の中で育ちました。私が、大人たちが「伝統」と呼んで竹刀という竹の棒などを使って叩きながら私に教えていたことは、実は概ね20世紀中盤の特殊な意識状態の残滓であったことに気づいたのは、私が20代に入ってからでした。)
又、日本には今もなお、伝統が多少なりとも残っている地域があります。しかし、日本の芸術家の多くは、深く知る人ほど、その地域を嫌っています。
たとえばそういった地域~文化遺産があるという理由でアメリカ軍が空爆しなかった地域~で展覧会を開くと、地元の人々は、それがどこの誰であろうと、蔑むためにやってきます。彼らは、自分と、自分の村と、自分の村の文化遺産の区別が曖昧な精神構造をしているので、自分の村に伝わる8世紀や10世紀の彫像などと比べ、自分(達)のほうが優れていることを感じるためにやってくるのです。まれに東京などから、そのような地域に移り住む芸術家もいますが、多くの芸術家はそのような地域から立ち去ります。そういう地域で生まれ育った芸術家の多くが、私の知る限り、自分の故郷が空爆されれば良かった、全部燃えてしまえばよかったとすら口にします。
―それはさておき、実は今、日本は「サード・インパクト」を経験している最中です。
日本人は伝統の大半を捨て去ろうともがいています。
もう捨てるべきものを持たないので、多くの人が自殺しています。
この「サード・インパクト」を多くの場合「グローバリゼーション」と呼ぶようですが、
私はもっと事態は複雑だと思っています。
それでは、健康にお気をつけて。
舟沢虫雄
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これが、本来私がローデリウスさんに言いたかったことの、公表してもいい部分である。
これにプライベートな部分を付け足し、文章を3分の1程度まで簡略し、
翻訳ソフトで無理くり英語にしたものを、ローデリウスさんに送信した。
―ローデリウスさんから興味深いお返事を頂いたが、あくまで私信なので、いつの日か機会があれば、ということで。
本の中で彼は、私にとって、もう決して帰ってはこない、決して取り戻すことの出来ない懐かしい日本に住み、
その(私にとって懐かしい)日本に落胆しながら、私の知らない日本を懐かしんでいる。
私は、彼の描く「ぼくの子供のころ」を、殆ど理解することが出来ない。
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myspaceで、ハンス・ヨアヒム・ローデリウスさんからフレンド・リクエストが来たとき、私は「へえ、またマニアックな人のファンサイトを作った人がいるねぇ」と思いながらフレンド認可した。あるいはマネージャーさんかスタッフさんが作ったのかな、と。
(ブライアン・イーノさんのmyspaceは明らかにファンサイトだし、マイケル・ブルックさんのmyspaceはスタッフさんが作っている。“フレンド”になると「マイケルの今後のスケジュールです」というスタッフさんの書き込みが見れるようになるのだ。)
ところが、ローデリウスさんからのメッセージを読むと、どうも私にはご本人に思えるのだ。
証拠はない。公式サイトにリンクされていないし。あるいはスタッフさんが代読、代筆しているのかもしれない。でもとにかく、物凄くご本人っぽいのだ。
頂いた私信はここではもちろん公開しないが、ローデリウスさんに返事を書こうと思ったものの、私の英語力では全く不可能だ。翻訳ソフトでどうにかこうにか伝えたいことの3分の1くらいは英語にして、やっと送った。
そのとき私がローデリウスさんに伝えたかったことというのが、私が谷内六郎さんの絵や文を読んだり、“ナンバ歩き”を知ったりして、いつか文章にまとめて自分の公式サイトに載せようか、と思っていた内容と殆ど同じであった。
そういうわけで、
ここで、私がローデリウスさんに送った“3分の1メッセージ”ではなく、
私がローデリウスさんに伝えたかったことを、
私信的な部分を除いた日本語の状態で記しておく。
(つまり、これはローデリウスさんに実際に送った文章の日本語訳ではなく、私の真意のなかで、公開しても差し支えない部分を文章化したものである。)
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ローデリウス様
メッセージをありがとうございます。
私はあなたのレコードやCDの幾つかを持っています。今ちょっとタイトルが思い出せないのですが、KORGのPoly61を弾いてらっしゃるとクレジットされているレコードが好きで、若い頃よく聴いたものです。
さて。日本についてですが、
恐れながら、日本はあなたがお考えになるほど深い伝統を持ってはおりません。
近年、日本で興味深い発見がありました。江戸時代までの日本人は、歩くときに右手と右足、左手と左足を同時に出していたというのです。
現在の「普通」の歩き方は、イギリス軍がサムライに訓練で教え、侍たちが教師や警官や官僚などになって大衆に教えて浸透していったもののようです。
他にも日本では、いわゆる「サムライの時代」が終わったときに、「家族とは何か」「父親とは何か」「職業とは何か」といった社会の基本構造を、非常に人工的に、強制的に取り決めた形跡があります。
19世紀末に、日本は伝統の殆どを捨て去りました。これはいわば、日本の「ファースト・インパクト」です。
日本の「セカンド・インパクト」は第二次世界大戦が終わったときに生じました。そのときにも、日本人は伝統の大半を捨て去りました。
(余談ですが、私は10代の大半を、伝統に非常に厳しい学校と地域社会の中で育ちました。私が、大人たちが「伝統」と呼んで竹刀という竹の棒などを使って叩きながら私に教えていたことは、実は概ね20世紀中盤の特殊な意識状態の残滓であったことに気づいたのは、私が20代に入ってからでした。)
又、日本には今もなお、伝統が多少なりとも残っている地域があります。しかし、日本の芸術家の多くは、深く知る人ほど、その地域を嫌っています。
たとえばそういった地域~文化遺産があるという理由でアメリカ軍が空爆しなかった地域~で展覧会を開くと、地元の人々は、それがどこの誰であろうと、蔑むためにやってきます。彼らは、自分と、自分の村と、自分の村の文化遺産の区別が曖昧な精神構造をしているので、自分の村に伝わる8世紀や10世紀の彫像などと比べ、自分(達)のほうが優れていることを感じるためにやってくるのです。まれに東京などから、そのような地域に移り住む芸術家もいますが、多くの芸術家はそのような地域から立ち去ります。そういう地域で生まれ育った芸術家の多くが、私の知る限り、自分の故郷が空爆されれば良かった、全部燃えてしまえばよかったとすら口にします。
―それはさておき、実は今、日本は「サード・インパクト」を経験している最中です。
日本人は伝統の大半を捨て去ろうともがいています。
もう捨てるべきものを持たないので、多くの人が自殺しています。
この「サード・インパクト」を多くの場合「グローバリゼーション」と呼ぶようですが、
私はもっと事態は複雑だと思っています。
それでは、健康にお気をつけて。
舟沢虫雄
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これが、本来私がローデリウスさんに言いたかったことの、公表してもいい部分である。
これにプライベートな部分を付け足し、文章を3分の1程度まで簡略し、
翻訳ソフトで無理くり英語にしたものを、ローデリウスさんに送信した。
―ローデリウスさんから興味深いお返事を頂いたが、あくまで私信なので、いつの日か機会があれば、ということで。
- [2007/02/16 22:31]
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