シンクロニシティ、禅、崇高な画家達、坐禅
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この数ヶ月、シンクロニシティの洪水である。
複雑に符合していくアレンジメント。
一つひとつの内面/外面の出来事を列挙していくこともできない。
一々書いていたら一日の出来事より書いてる時間が長くなるかもしれないくらいだ。
-------------------------
様々な符合を鑑み、思うところあって、早起きして、
上野の博物館に「京都五山 禅の文化展」を見に行く。
5年ぶりか10年ぶりか、15年ぶりかの上野。
近年は殆ど行動パターンが決まっていたこともあって、
デジカメもめぼしいものは概ね撮ってしまったなぁ、と思っていたので、
荷物を重くしたくなかったけれどデジカメを持参。
上野公園で樹を数枚、噴水を数枚撮ったところで、
電池切れ。
デジカメ、GJ。またひとつ「機械運の悪さ」を自慢できるネタをありがとう。
-------------------------
あまり史実的な知識を持たないまま行ったので、
正直かなり驚いた部分もあった。
なんというか、初期の禅の、
権威志向と拡大志向と政治志向とブランド志向。
そんなんだったのかよ、と少々呆れたが、
時代的にそれはしょうがない、と後で複数の人に言われた。
「見る目がない」といわれればそれまでというか、
むしろ「見る目がない奴」と思ってもらったほうが安全かもしれないが、
一部、私が見るに、かなり“芸術性の低いもの”も展示されている。
たとえば、ごく普通の仏画なのに、
眼だけが福笑いのように、アサッテのほうを見てるのがある。
なんだこれ、と説明を読むと、仏画を描いてから、
最晩年の一番位の高い僧侶に眼を書き入れてもらったという。
(想像だが、もう起き上がれないその僧の枕元に仏画を持ってって、筆を手に持たせたのではないか)
なんか、そういうことするよりちゃんとした仏画を完成させるほうが大事だろ、と思うのだが、当時の人々にとっては“あの僧が眼を入れた”というブランドのほうが有り難かったのか、それとも“権力の力学”みたいなものでそうなったのか。
よく判らないが、当時の宗教芸術には芸術性を損なってもかまわないほど重要なものがあったみたいだ。
もちろん“そんなの”ばかりではなく、立派なものも沢山あったのだが、
中でも、「こっ‥これはっ…」と目を瞠る作品が2点。
一つは木像、一つは画像(掛軸)。
どちらも禅僧をえがいたもの。
その禅僧が凄いのか、書いた絵師、仏師が凄いのか、判らない。
あまりにも深い印象だったので、説明書きをメモった。
木像:
無本覚心
真言密教、天台密教にも通じ、熊野に入るなど神道にも接触。曹洞宗の僧たちとも交流あり。
掛軸:
闡提正具(せんだいしょうぐ)
隠遁を好む、とある。派手な法衣も嫌ったらしい。
-------------------------
全体ざっとを見ただけで2時間。脚痛い。
もう少し居られる時間があったが、千葉に戻ることにする。
帰りにパンフレット買おうかと思ったが、
魂の奥の奥まで揺さぶられたのは上記2点だけなので、
どうせ有名なものなんだろうからネットで画像でも落とせるだろう、
と思って買わずに帰ったら、その作品画像、
みつからない。
どうやら私が感動した2点は、そんなに有名な作品じゃなかったらしい。
確かに「この時代の代表作」ってのは、他に紹介されてあった。(それもいいな、とは思ったけど‥)
‥うぐぅ。
時間があれば来週もう一回見に行ったろか‥
-------------------------
上野を出て、千葉の歯医者へ行く途中、本屋に寄る。
そしたら、あれだけ探して、結局輸入モノを買った、
C・D・フリードリッヒのタッシェンの画集、
翻訳版が出てる。
画集だから文章のためだけに買いなおすかどうか、
と悩んだが、結局経歴を立ち読みするだけにした。
(タッシェン社さん、紀○○屋さん、ごめんなさい)
経歴を立ち読みして思ったことは、
彼は、あの圧倒的な孤独を、
いつの日にか氷解できると、
かなり永い間信じていたらしい。
そして晩年に、自分の作品が非常に限られた人にしか受け入れられないと悟ってから、病に倒れ、急速に衰え、とても惨めな晩年であったらしい。
かわいそうに。
他人事ではない。
ちなみに、タッシェン社から知らないうちにマーク・ロスコの画集も出ていた。
こちらは我が家にでっかいのが2冊あるのでパラパラめくる程度にした。
彼の晩年の惨めさと死に方は知っている。
かわいそうに。
他人事ではない。
いつも思うんだが、私は音楽をやっているにも関わらず、
いつも画家のロスコとフリードリッヒを超えたいと願っている。
彼らの先があるはずだ。
いや、彼らの先を実現した多くの先人がいる。
前のブログに書いた、「中間地点の先」。
ユングに言わせると、この地点を越えるときに起こることは、
全く記述不可能なんだそうだ。
――本屋に寄ると、自動的に河合隼雄先生のコーナーを見に行ってしまう。
そうか。もう新刊は出ないんだな。
ご冥福をお祈りします。
ただ、私としては、唯一、
もしもお話する機会があったなら、
「関西には文化があるけど、関東には無い」
という言葉の真意を問うてみたかった。
(何度か口になさっているはずだが、白洲正子氏との対談が有名か)
-------------------------
私の腰痛を最も快復させることに成功した鍼灸師/カイロプラクター/禅僧。
以前から、禅についてちまちまと質問していたので、
「なんか興味がある」と思ってくれていたのだろう。
父が死去した折、私を治療しながら、この禅師は静かに言った。
「‥こんど、座る?」
この人、私をどうってことのないアパートに案内した。
そのアパートに、表札の無い部屋があった。
その、どうってことのないアパートのどうってことのないドアを開けると、
禅堂だった。
改築したのだそうだ。
以来、月に一回、治療の一時間前に赴き、
その部屋で坐禅を教わっている。
治療は月一ペースだが、
坐禅は明日から毎週伺おうと思っている。
複雑に符合していくアレンジメント。
一つひとつの内面/外面の出来事を列挙していくこともできない。
一々書いていたら一日の出来事より書いてる時間が長くなるかもしれないくらいだ。
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様々な符合を鑑み、思うところあって、早起きして、
上野の博物館に「京都五山 禅の文化展」を見に行く。
5年ぶりか10年ぶりか、15年ぶりかの上野。
近年は殆ど行動パターンが決まっていたこともあって、
デジカメもめぼしいものは概ね撮ってしまったなぁ、と思っていたので、
荷物を重くしたくなかったけれどデジカメを持参。
上野公園で樹を数枚、噴水を数枚撮ったところで、
電池切れ。
デジカメ、GJ。またひとつ「機械運の悪さ」を自慢できるネタをありがとう。
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あまり史実的な知識を持たないまま行ったので、
正直かなり驚いた部分もあった。
なんというか、初期の禅の、
権威志向と拡大志向と政治志向とブランド志向。
そんなんだったのかよ、と少々呆れたが、
時代的にそれはしょうがない、と後で複数の人に言われた。
「見る目がない」といわれればそれまでというか、
むしろ「見る目がない奴」と思ってもらったほうが安全かもしれないが、
一部、私が見るに、かなり“芸術性の低いもの”も展示されている。
たとえば、ごく普通の仏画なのに、
眼だけが福笑いのように、アサッテのほうを見てるのがある。
なんだこれ、と説明を読むと、仏画を描いてから、
最晩年の一番位の高い僧侶に眼を書き入れてもらったという。
(想像だが、もう起き上がれないその僧の枕元に仏画を持ってって、筆を手に持たせたのではないか)
なんか、そういうことするよりちゃんとした仏画を完成させるほうが大事だろ、と思うのだが、当時の人々にとっては“あの僧が眼を入れた”というブランドのほうが有り難かったのか、それとも“権力の力学”みたいなものでそうなったのか。
よく判らないが、当時の宗教芸術には芸術性を損なってもかまわないほど重要なものがあったみたいだ。
もちろん“そんなの”ばかりではなく、立派なものも沢山あったのだが、
中でも、「こっ‥これはっ…」と目を瞠る作品が2点。
一つは木像、一つは画像(掛軸)。
どちらも禅僧をえがいたもの。
その禅僧が凄いのか、書いた絵師、仏師が凄いのか、判らない。
あまりにも深い印象だったので、説明書きをメモった。
木像:
無本覚心
真言密教、天台密教にも通じ、熊野に入るなど神道にも接触。曹洞宗の僧たちとも交流あり。
掛軸:
闡提正具(せんだいしょうぐ)
隠遁を好む、とある。派手な法衣も嫌ったらしい。
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全体ざっとを見ただけで2時間。脚痛い。
もう少し居られる時間があったが、千葉に戻ることにする。
帰りにパンフレット買おうかと思ったが、
魂の奥の奥まで揺さぶられたのは上記2点だけなので、
どうせ有名なものなんだろうからネットで画像でも落とせるだろう、
と思って買わずに帰ったら、その作品画像、
みつからない。
どうやら私が感動した2点は、そんなに有名な作品じゃなかったらしい。
確かに「この時代の代表作」ってのは、他に紹介されてあった。(それもいいな、とは思ったけど‥)
‥うぐぅ。
時間があれば来週もう一回見に行ったろか‥
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上野を出て、千葉の歯医者へ行く途中、本屋に寄る。
そしたら、あれだけ探して、結局輸入モノを買った、
C・D・フリードリッヒのタッシェンの画集、
翻訳版が出てる。
画集だから文章のためだけに買いなおすかどうか、
と悩んだが、結局経歴を立ち読みするだけにした。
(タッシェン社さん、紀○○屋さん、ごめんなさい)
経歴を立ち読みして思ったことは、
彼は、あの圧倒的な孤独を、
いつの日にか氷解できると、
かなり永い間信じていたらしい。
そして晩年に、自分の作品が非常に限られた人にしか受け入れられないと悟ってから、病に倒れ、急速に衰え、とても惨めな晩年であったらしい。
かわいそうに。
他人事ではない。
ちなみに、タッシェン社から知らないうちにマーク・ロスコの画集も出ていた。
こちらは我が家にでっかいのが2冊あるのでパラパラめくる程度にした。
彼の晩年の惨めさと死に方は知っている。
かわいそうに。
他人事ではない。
いつも思うんだが、私は音楽をやっているにも関わらず、
いつも画家のロスコとフリードリッヒを超えたいと願っている。
彼らの先があるはずだ。
いや、彼らの先を実現した多くの先人がいる。
前のブログに書いた、「中間地点の先」。
ユングに言わせると、この地点を越えるときに起こることは、
全く記述不可能なんだそうだ。
――本屋に寄ると、自動的に河合隼雄先生のコーナーを見に行ってしまう。
そうか。もう新刊は出ないんだな。
ご冥福をお祈りします。
ただ、私としては、唯一、
もしもお話する機会があったなら、
「関西には文化があるけど、関東には無い」
という言葉の真意を問うてみたかった。
(何度か口になさっているはずだが、白洲正子氏との対談が有名か)
-------------------------
私の腰痛を最も快復させることに成功した鍼灸師/カイロプラクター/禅僧。
以前から、禅についてちまちまと質問していたので、
「なんか興味がある」と思ってくれていたのだろう。
父が死去した折、私を治療しながら、この禅師は静かに言った。
「‥こんど、座る?」
この人、私をどうってことのないアパートに案内した。
そのアパートに、表札の無い部屋があった。
その、どうってことのないアパートのどうってことのないドアを開けると、
禅堂だった。
改築したのだそうだ。
以来、月に一回、治療の一時間前に赴き、
その部屋で坐禅を教わっている。
治療は月一ペースだが、
坐禅は明日から毎週伺おうと思っている。
- [2007/08/24 21:21]
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