数と自然と居場所
- Weblog
- | トラックバック(0)
- | コメント(0)
―ハウアーとイッテンを知る。
色彩にしろ音にしろ、ドイツ民族にとって、
数学的思考構造は生命を損なわない。
むしろ育んでいるふしすらある。
日本民族にとって、数学化、数値化は、
非常に多くの場合、死を意味する。
土地の自然が根本から違うからだ。
ドイツの「生の数」と、日本の「死の数」は、
フォルムがそっくりである。
だから、しばしば謎の交歓を生む。
この奇妙な響き合いは、世界が“デジタル化”してから、
一気に加速した感がある。
注意深く自然を排除したグラフィックや、
緻密なコンピューターエラーを引き起こす音の連なりで、
分かり合ってるような誤解しあってるような、
手に手をとって生きているさまは、
傍から見てて、少しうらやましくもあり、
どことなく哀れでもあり、
なんだか不思議な蜜月だなぁと、見ていて思うのだ。
しかし、「ポスト・エレクトロニカ時代」という言葉を雑誌で目にした。
そろそろこの時期も終わりが近いのかもしれない。
私はと言えば、相変わらずだ。
居場所を探すだけの生涯かもしれない。
―私は、静止したまま、安住の地を求めて流浪しているのだ。
色彩にしろ音にしろ、ドイツ民族にとって、
数学的思考構造は生命を損なわない。
むしろ育んでいるふしすらある。
日本民族にとって、数学化、数値化は、
非常に多くの場合、死を意味する。
土地の自然が根本から違うからだ。
ドイツの「生の数」と、日本の「死の数」は、
フォルムがそっくりである。
だから、しばしば謎の交歓を生む。
この奇妙な響き合いは、世界が“デジタル化”してから、
一気に加速した感がある。
注意深く自然を排除したグラフィックや、
緻密なコンピューターエラーを引き起こす音の連なりで、
分かり合ってるような誤解しあってるような、
手に手をとって生きているさまは、
傍から見てて、少しうらやましくもあり、
どことなく哀れでもあり、
なんだか不思議な蜜月だなぁと、見ていて思うのだ。
しかし、「ポスト・エレクトロニカ時代」という言葉を雑誌で目にした。
そろそろこの時期も終わりが近いのかもしれない。
私はと言えば、相変わらずだ。
居場所を探すだけの生涯かもしれない。
―私は、静止したまま、安住の地を求めて流浪しているのだ。
- [2006/03/17 00:01]
- Weblog |
- トラックバック(0) |
- コメント(0)
- この記事のURL |
- TOP ▲
トラックバック
この記事のトラックバックURL
https://mushiof.blog.fc2.com/tb.php/31-0fe60cf3
- | HOME |
コメントの投稿