似てくる話
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人生において、ほんとうに酷い経験をした場合、
その只中においては、それを経験しきれていないことがある。
その酷い経験が、その人の「経験する能力」を、
はるかに凌いでいるのだ。
そういう場合、その経験が経験として成立するのに、
数年かかる場合も、珍しくない。
(私たちは時として、それが生涯かかっても終わらないケースすら目にする)
「あの経験はなんだったのか?」
「なぜあのようなことが起こったのか?」
「そもそも私は、いったい、何を経験したのか?」
そういう自問が、延々と、間断なく、続く。
やがて、何が起こったのかが、点々と、見え始めることがある。
ぽろり、ぽろりと、目から鱗が落ち始めるのだ。
「ああ、あれは、人為的に引き起こされた出来事だったのだ。」
「ああ、あのとき、あの人は、嘘をついていたのだ。」
「ああ、あのとき、あの人は、何もかも、わかっているふりだったのだ。
あの人は、何もわからないまま、深くうなずいていたのだ。」
「ああ、あのとき、あの人は、あらかじめ言う順番を決めていたのだ。
あの順番で言えば、何もかも、私のせいにすることができるから。
しかしなぜ、2人きりの状態でそんなことをしたのだろう?
だれも見てないところで私に罪をかぶせたって、意味がないじゃないか。」
「ああそうか。あの人は、自分のミスを隠すために私をかくまっているのだ。
すべてのミスや罪を私になすり付けておいて、その私をかくまえば、
自分の罪を隠しながら、隠していること自体すら隠すことができるじゃないか。
何があったかのかを誰かが本気で調べたとしても、
あの人が私の罪を隠してあげているように見えるので、
その人は、面倒見のいい人と思ってもらえるじゃないか。」
「ああ、あの人は、私が、あの人には分からないことを質問したから、
私のことを、憎んでいるんだ。
あの人にとって、答えられない質問をされるということは、
いや、質問をされるということそのものが、
なにか、侮辱を受けるようなことであったのだ。」
そんなふうに、何年も、何年もかけて、
少しづつ、少しづつ、
自分が何を経験させられたのか、
判ってくる。
そして、
「ああ、そうか」と気が付いて、魂が震撼し、
愕然としている最中に、
夜の電車の窓に目をやると、
そこに写った自分の顔を見て、さらに、愕然とする。
想像を絶した酷い人に、
想像を絶した酷い経験をさせられ、
やがて想像力が追いついて、
その人の心や、その人の行動の意図が判ってくるにつれて、
その人に、顔が似てくるのだ。
その只中においては、それを経験しきれていないことがある。
その酷い経験が、その人の「経験する能力」を、
はるかに凌いでいるのだ。
そういう場合、その経験が経験として成立するのに、
数年かかる場合も、珍しくない。
(私たちは時として、それが生涯かかっても終わらないケースすら目にする)
「あの経験はなんだったのか?」
「なぜあのようなことが起こったのか?」
「そもそも私は、いったい、何を経験したのか?」
そういう自問が、延々と、間断なく、続く。
やがて、何が起こったのかが、点々と、見え始めることがある。
ぽろり、ぽろりと、目から鱗が落ち始めるのだ。
「ああ、あれは、人為的に引き起こされた出来事だったのだ。」
「ああ、あのとき、あの人は、嘘をついていたのだ。」
「ああ、あのとき、あの人は、何もかも、わかっているふりだったのだ。
あの人は、何もわからないまま、深くうなずいていたのだ。」
「ああ、あのとき、あの人は、あらかじめ言う順番を決めていたのだ。
あの順番で言えば、何もかも、私のせいにすることができるから。
しかしなぜ、2人きりの状態でそんなことをしたのだろう?
だれも見てないところで私に罪をかぶせたって、意味がないじゃないか。」
「ああそうか。あの人は、自分のミスを隠すために私をかくまっているのだ。
すべてのミスや罪を私になすり付けておいて、その私をかくまえば、
自分の罪を隠しながら、隠していること自体すら隠すことができるじゃないか。
何があったかのかを誰かが本気で調べたとしても、
あの人が私の罪を隠してあげているように見えるので、
その人は、面倒見のいい人と思ってもらえるじゃないか。」
「ああ、あの人は、私が、あの人には分からないことを質問したから、
私のことを、憎んでいるんだ。
あの人にとって、答えられない質問をされるということは、
いや、質問をされるということそのものが、
なにか、侮辱を受けるようなことであったのだ。」
そんなふうに、何年も、何年もかけて、
少しづつ、少しづつ、
自分が何を経験させられたのか、
判ってくる。
そして、
「ああ、そうか」と気が付いて、魂が震撼し、
愕然としている最中に、
夜の電車の窓に目をやると、
そこに写った自分の顔を見て、さらに、愕然とする。
想像を絶した酷い人に、
想像を絶した酷い経験をさせられ、
やがて想像力が追いついて、
その人の心や、その人の行動の意図が判ってくるにつれて、
その人に、顔が似てくるのだ。
------------------------
芸術的に、上の文章で終わったほうが正しいことは重々承知していますが、
それでも、蛇足を書きます。
思うに、人相が悪い人というのは、
悪い人というより、悪いことを沢山された人ではないかと思います。
人相が悪い人がほんとうに悪人だったら、それは、悪いことを沢山されたから悪人になった人なのかもしれません。
------------------------
エーテル体と、彫塑と、生成するカルマといった観点から、
おそらくかなりの考察が、この「似てくる話」から導き出せる筈です。
が、それは私の手に余りますので、
どなたかこの文章を元に考察を進めてくだされば幸いです。
------------------------
私はここ数年で、すっかり顔が変わってしまい、
会う人会う人に驚かれていますが、
変わってから新たにお会いした人に、
「お知り合いの○○さんみたいですね。」
と複数の身近な人の名前を出されることがあります。
ですので、あらかじめ言っておきますと、
この文章に出てくる「想像を絶した酷い人」は、
ダンサーでも美術家でも音楽家でも、ありません。
無用な誤解を生まないよう、以上、蛇足しておきますです。
芸術的に、上の文章で終わったほうが正しいことは重々承知していますが、
それでも、蛇足を書きます。
思うに、人相が悪い人というのは、
悪い人というより、悪いことを沢山された人ではないかと思います。
人相が悪い人がほんとうに悪人だったら、それは、悪いことを沢山されたから悪人になった人なのかもしれません。
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エーテル体と、彫塑と、生成するカルマといった観点から、
おそらくかなりの考察が、この「似てくる話」から導き出せる筈です。
が、それは私の手に余りますので、
どなたかこの文章を元に考察を進めてくだされば幸いです。
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私はここ数年で、すっかり顔が変わってしまい、
会う人会う人に驚かれていますが、
変わってから新たにお会いした人に、
「お知り合いの○○さんみたいですね。」
と複数の身近な人の名前を出されることがあります。
ですので、あらかじめ言っておきますと、
この文章に出てくる「想像を絶した酷い人」は、
ダンサーでも美術家でも音楽家でも、ありません。
無用な誤解を生まないよう、以上、蛇足しておきますです。
- [2010/08/16 01:30]
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