ジョン・ケージ体験と近所の犬 

ジョン・ケージ「ピアノと管弦楽のためのコンサート」を聴いていた。
(DVD「ジョン・ケージ」ULD-312。カット割りが判りやすいです)
聴いてる途中で、近所の犬が吠えた。

普段なら耳を通過して魂の奥にまで直撃する、
犬の怒りとか、恐怖とか、不安とか、威嚇とかが、
全く胸に届くことなく、「単なる犬の吠える音」に聴こえた。
つまり、曲の一部として、溶け込んで聴こえた。

音と沈黙を等価とするケージ先生、
音楽以外をすべて音楽にするケージ先生の音楽を聴いていると、
この世のほとんど全ての音がケージ先生の音楽に聴こえ始めると同時に、
確かに、何かが、聴こえなくなる。

それが何なのか、未だにはっきりとは判らずにいる。
サンプリングによる音の無意味化とも全く違う、あの体験。
“あの種の無音”は、ケージ作品とその周辺でしか聴いたことがない。
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――この文章は、聴かない訓練や、音の内外と東西を読むと判りやすいかもです。

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