炎上の仕組み 

システム理論とか、社会学のような、人間を外側から観察する学問を学んでいる人にとってはあたりまえのことなのだろうけど、
私にとっては、仕組みが分かるということは、
かなり珍しいことである。

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とあるSNSで、ある特定の学歴を持った人間を、
「カスの集まり」
と断言する日記を書いている人間がいて、
そのコメント欄が炎上している。
知人からそういう話題を聞いたので、見に行った。

いろいろ状況を見てみて、
炎上が起きる仕組みが、ある程度見えた気がした。

●1:
その日記の著者は、他人に読まれるということがどういうことなのかほとんどわかっていないし、
わかっていないこと自体に、気づいてもいないらしい。
ただただ思いついたことを、文章としてまとめるでもなく、論理が破綻したままメモ帳のように書きとめているに過ぎない。
悪意で書いている様子も、人を傷つけようとしている意図も、文章からは伝わってこない。
つまり、この著者にとって、文章を書くということは、まったく価値のない、興味もない、「認知の穴」のような場所で起きていることらしい。
そして、日記を非公開にするというアイデアも、思い浮かばないらしい。

●2:
この著者は、学歴に関するニュースを読んで、その反応として当該の日記を書いている。
つまり、ニュースを読んで、ニュースの文末にある“このニュースに関する日記を書く”をクリックして文章を書いている。
しかし、そうやって日記を書くということは、
・学歴に興味のある人々がトップページのニュースをクリックする
・学歴に興味のある人がそのニュースを最後まで読む
・そのニュースの文末に「○○卒はカスの集まり!」といった日記のタイトルがリンク付きで表示される
ということになる。

つまり、ネット上の夥しい人々から、流れ作業のように、学歴に興味のある人だけが分別され、タイトルに怒りを感じる人だけがその日記を読みにやってくる。
川の流れを用水路に引き込むようなイメージ。

よって、その日記に、怒りのコメントが大量に書き込まれる。

●3:
その人物は、数日後の日記に、概ね以下のように、自分のポリシーを書いている。
・書かれたコメントは消さない。その文章で恥をかくのは、書いた側だ。
・不快なコメントは、何を言おうとしているかはきちんと読まない
 ただただ「バカ」と書いていれば「お前がバカ」、
 「クズ」という言葉が書いてあれば「お前がクズ」、
 そうやって相手が書いた言葉を返してやっている。

これを読んで仕組みが見えてきた部分が大きいのだが、
・この著者は、怒りのコメントに対し、相手の怒りの原因を想像しようとする意思がない。
・怒りのコメントは、「怒ってるらしい」ということしか目に入っていない。読む意思もない。
・「バカ」といった単語だけを目に入れて、論点を読まず、そのまま「お前がバカ」と書き返している。
・悪いことを書き込まれても、削除はしない。恥をかくのは相手だ、と思っているから。

つまり、自分が悪いことを書いたという意識は全くないが、
他人に悪いことを書かれたことは認識できるらしい。
自分のメモ帳にいたずら書きされたような気分だろうか。

そういうわけで、コメント欄に、
罵詈雑言が果てしなく続く
という状態になっている。

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整理する。
1:大勢の人の目につくところに、人を怒らせるようなリンクを貼る。
2:リンクから入ってくる大量の人を怒らせるような文章を、非・論理的に書く。
3:怒りのコメントに、火に油を注ぐようなコメントで返す。
4:「3」のコメントの応酬が、果てしなく続く。
――以上が、無意識裡に行なわれていた。

初期インターネットでは、「フレーム(焔)」と呼ばれていたが、
このように、まるで数式のように仕組みが見える例は少ないと思った。

ちなみに、このような仕組みを意識的に作り上げようとする動きなら、
よく目にしている。
SNSが現れる以前には、掲示板などでこういう状況を面白がって作りたがる人間を、ほんとうに沢山目にしていたし、
商用ということなら、
ミスクリックを誘うバナー広告だってあるし、
「配信拒否はコチラ」と返信を誘う迷惑メールも来る。
(返信すると自動的に「読まれているアドレス名簿」に登録される仕組みになってるそうだ)

しかし、悪しき作為なしに、全く素朴に、
罵詈雑言の嵐になっているところは久しぶりに見たし、
それが生じるメカニズムがこれほどクリアに見えたのは初めてだったので、
まとめてみた次第。

ちなみに、私がこの日記の著者に、
ここに書いてあるようなことをメールで説いたとしても、
「文章の長い嫌がらせメール」とナナメ読みされるだけだろう。
気が向けば「お前がバカ」と返信してくれるかもしれない。

「荒らしは放置」「スルー力を養う」といった言葉の根拠が、
クリアに見てとれたのであった。
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つらいのは、非・論理的な罵詈雑言を受ければ受けるほど、
さらに論理的かつ誠実であろうとする人がいるということ。
どんなに真剣になっても、相手はナナメ読みで罵詈雑言を返すだけなのだけれど、
ナナメ読みの罵詈雑言を返されれば返されるほど、
ますます真摯に、ますます誠実に、ますます論理的になる人がいるということ。
これは、見ていてつらい。

まるで、芸術のようだ。

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