ビデオ操作の理解の限界
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身内の話で恐縮だが、
舟沢の母は、機械が、苦手である。
が、機械が苦手である、ということ自体を、
本人はあまり認識していないらしい。
もう十年以上、いや、もしかしたら、
記憶をたどると二十年以上にわたって、
ことあるごとにビデオの使い方を教え続けているのだが、
理解する気はないらしい。
いや、自分には理解する気がない、という自覚も、ないらしい。
でも、ビデオは、見たがる。
見たがってはいるのだが、
「自分が見たがっているのがビデオである」、
という認識は、あまり、ないらしい。
使い方を教え始めたときには、まだ、DVDもなかった。
母が見たがっているのは、VHSのビデオテープである。
もう十年以上(たぶん二十年以上)教え続けているのだが、
自分がビデオを見たいと思っていることを、
認識しようとはしてくれない。
ここまで読んだ方々の多くは、
何のことだかわからないかもしれない。
実は、考えられないほどに、話は単純である。
母はどこかから、
茶道のビデオテープのセットをもらった。
それを私に示して、
「これ見たい、でも時間がない、でも見たい、」
といい続ける。
だが、母は、ビデオの入力切替も、再生も、停止も、
その存在自体を、認識してくれないのである。
時間がないといっても、ビデオなのだから、
一時停止してちょっとずつ見ればいい。
が、「停止」という概念自体を、認識しようとしない。
テレビ画面を自力で止めたりすること自体を、認識してくれない。
コマーシャルの間に急いでトイレに行くような時代で、
時間が止まっているらしいのだ。
だから、コマーシャルのないビデオは、
映画館のように我慢して一気に見るものだ、
くらいにしか認識できない、らしい。
そうではないのだということを、
いくら教えても、実演して見せても、
わかってはくれない。
テレビとビデオの違いが解らないのだから、
テレビのリモコンの「入力切替」ボタンも、認識しない。
「ここを押すの。ここ。ここ。この右上。ここ。こーこ。」
とリモコンのボタンを指差して十年以上教え続けても、
リモコンに目線を合わせることもできない。
リモコンに目線を合わせることもできない、ということ自体も、
当人は認識できていない、らしい。
もちろん再生ボタンを押すことも、できない。
「再生って書いてあるボタンを押すの。この、三角マークのボタン。
これ。これ。こーれ。」
とボタンを指差して十年以上教え続けても、
ボタンを押すことも、
指差したボタンに目線を合わせることも、できない。
VHSテープをデッキに入れることも、できない。
ビデオカセットの上下も、前後も、認識できない。
ほんとうにできないのだ。
できないのだが、茶道のビデオセットは、見たい。
こちらがその場で操作しつつ見せようとしても、
今は時間がないから見たくないという。
でも見たいという。
そんなふうにして、長い年月が流れた。
いよいよ母の家のテレビを買い換えることになった。
買い換えたらVHSビデオは見れなくなる、と宣言した。
「見たいけど、時間がないけど、見たいけど、」
と言う母に、
VHSビデオを1巻再生して、見せる。
また別の週に、1巻再生して、見せる。
そうしてボックスセットを1巻ずつ、見せる。
母はなんだか憂鬱そうな、悲しそうな顔をしている。
「時間がないのに見なくちゃいけない」から、らしい。
「見たいけど、時間がないけど、見たいけど、」
と長い年月言い続けた、その「時間がない」というのは、
縫い物をしたいとか、花に水をやりたいとかである。
それだって、ビデオの「停止」ボタンを理解すれば、できる。
でも、停止ボタンを理解することができないし、
ビデオを挿入することも、再生することも、できない。
できないまま今日まで来てしまったのだから、
アナログ入力のあるテレビを廃棄するのだから、
VHSデッキだっていつ壊れてもおかしくないのだから、
多少悲しげでも、見たがっていたビデオを、見せる。
先日、母の家でビデオを再生して、
私はそのまま自宅へ戻ってきてしまった。
戻ってきてから、ちょっと心配になった。
見終わった後、ビデオを取り出すことなど、母に出来るはずがない。
母は、ビデオを見終わった後に、テレビを見れているだろうか。
母は、テレビを見れない状況になると、とても悲しそうになる。
母は、入力切替ボタンも認識できない人なのだ。
母は、ビデオが終わった後、
テレビが見れずに悲しんでいるかもしれない。
気になって、自宅から母の家に電話をかける。
「ビデオは見れたかい?ちゃんとそのあと、テレビを見れているかい?」
「なんだっていうんだい!
こまかいことを、ごちゃごちゃと!
でーきーてーまーすっ!!」
‥まさか怒られるとは思わなかった。
どうやら、チャンネルボタンを押すことで、
どこかのテレビ局に自動で切り替わり、
テレビが見れるようになっているらしい。
母は、
「見たいけど、時間がないけど、見たいけど」
と十年以上私にいい続けていることを、自覚していないらしい。
そして、十年以上(たぶん二十年以上)、
ビデオは停止できることや、
再生ボタンの場所や、
入力切替ボタンの場所を指差して、
「ここ。こーこ。」と教え続けてきたことを、
「何やらこまかいことをごちゃごちゃいわれてる」
くらいにしか認識していなかったらしい。
母は、電灯だってつけたり消したりできるし、
電子レンジだって使える。
テレビだって、チャンネルを変えることができる。
留守電を聞くことすらできるのだ。
それでも、母にとって、ビデオの再生ボタンを押したり、
入力切替ボタンを押すことは、
想像を絶するむずかしいことで、
それがあまりにもむずかしいがために、
そもそも出来ないこと自体を認識することができない、らしい。
なぜわからなくて、なぜできないのか、
いくらがんばっても、私には、理解できない。
理解できないのだ。
------------------------
今日、とあるインスタレーションの展示を見にいった。
電気的なインスタレーションなのだが、
見に行ってみると、スイッチが入っていない。
ほどなくして、赤ん坊を抱えた女性が現れる。
聞けば、展示している作家の奥様だという。
その、赤ん坊を抱えた奥様は何枚か紙片を持っていて、
「簡単だといわれて来たんですけど‥」
と困っておられる。
その紙を拝見すると、そのインスタレーションの、
設定変更のやり方らしき図が書いてある。
その、「これなら誰だってわかるでしょ?」
といわんばかりに書かれた図を見ると、
だいたい、奥様に、以下のような指令を出している、らしい。
「筐体を開いてある2台のVHSデッキに、
円環状に繋いであるVHSビデオテープを一旦はずし、
そのビデオカセットをそれぞれのデッキの脇にガムテープで留めよ。
そのあと、新たに用意した2本の改造VHSテープカセットを
ビデオデッキに設置し、
テープを手動でヘッドやリーダーに通して取り付け、
改造して開いたビデオテープ同士を、
スプライシングテープで貼り付け、
新たな円環テープとなるように取り付けよ。
2台のビデオデッキのテープスピードがずれると、
デッキが停止してしまうので気をつけよ。
簡単でしょ?できるでしょ?」
‥奥様に代わって、舟沢、やってみましたが、
できませんしでした。
むずかしすぎて、できません。
できませんよ。
------------------------
私たちは、
「これ以上簡単に言うことなんかできやしない」
と話すことをわかってもらえず、
「これ以上簡単に言うことなんかできやしない」
と話されることをわかることができない。
私(たち)は、このことを、生涯苦しむのかもしれない。
舟沢の母は、機械が、苦手である。
が、機械が苦手である、ということ自体を、
本人はあまり認識していないらしい。
もう十年以上、いや、もしかしたら、
記憶をたどると二十年以上にわたって、
ことあるごとにビデオの使い方を教え続けているのだが、
理解する気はないらしい。
いや、自分には理解する気がない、という自覚も、ないらしい。
でも、ビデオは、見たがる。
見たがってはいるのだが、
「自分が見たがっているのがビデオである」、
という認識は、あまり、ないらしい。
使い方を教え始めたときには、まだ、DVDもなかった。
母が見たがっているのは、VHSのビデオテープである。
もう十年以上(たぶん二十年以上)教え続けているのだが、
自分がビデオを見たいと思っていることを、
認識しようとはしてくれない。
ここまで読んだ方々の多くは、
何のことだかわからないかもしれない。
実は、考えられないほどに、話は単純である。
母はどこかから、
茶道のビデオテープのセットをもらった。
それを私に示して、
「これ見たい、でも時間がない、でも見たい、」
といい続ける。
だが、母は、ビデオの入力切替も、再生も、停止も、
その存在自体を、認識してくれないのである。
時間がないといっても、ビデオなのだから、
一時停止してちょっとずつ見ればいい。
が、「停止」という概念自体を、認識しようとしない。
テレビ画面を自力で止めたりすること自体を、認識してくれない。
コマーシャルの間に急いでトイレに行くような時代で、
時間が止まっているらしいのだ。
だから、コマーシャルのないビデオは、
映画館のように我慢して一気に見るものだ、
くらいにしか認識できない、らしい。
そうではないのだということを、
いくら教えても、実演して見せても、
わかってはくれない。
テレビとビデオの違いが解らないのだから、
テレビのリモコンの「入力切替」ボタンも、認識しない。
「ここを押すの。ここ。ここ。この右上。ここ。こーこ。」
とリモコンのボタンを指差して十年以上教え続けても、
リモコンに目線を合わせることもできない。
リモコンに目線を合わせることもできない、ということ自体も、
当人は認識できていない、らしい。
もちろん再生ボタンを押すことも、できない。
「再生って書いてあるボタンを押すの。この、三角マークのボタン。
これ。これ。こーれ。」
とボタンを指差して十年以上教え続けても、
ボタンを押すことも、
指差したボタンに目線を合わせることも、できない。
VHSテープをデッキに入れることも、できない。
ビデオカセットの上下も、前後も、認識できない。
ほんとうにできないのだ。
できないのだが、茶道のビデオセットは、見たい。
こちらがその場で操作しつつ見せようとしても、
今は時間がないから見たくないという。
でも見たいという。
そんなふうにして、長い年月が流れた。
いよいよ母の家のテレビを買い換えることになった。
買い換えたらVHSビデオは見れなくなる、と宣言した。
「見たいけど、時間がないけど、見たいけど、」
と言う母に、
VHSビデオを1巻再生して、見せる。
また別の週に、1巻再生して、見せる。
そうしてボックスセットを1巻ずつ、見せる。
母はなんだか憂鬱そうな、悲しそうな顔をしている。
「時間がないのに見なくちゃいけない」から、らしい。
「見たいけど、時間がないけど、見たいけど、」
と長い年月言い続けた、その「時間がない」というのは、
縫い物をしたいとか、花に水をやりたいとかである。
それだって、ビデオの「停止」ボタンを理解すれば、できる。
でも、停止ボタンを理解することができないし、
ビデオを挿入することも、再生することも、できない。
できないまま今日まで来てしまったのだから、
アナログ入力のあるテレビを廃棄するのだから、
VHSデッキだっていつ壊れてもおかしくないのだから、
多少悲しげでも、見たがっていたビデオを、見せる。
先日、母の家でビデオを再生して、
私はそのまま自宅へ戻ってきてしまった。
戻ってきてから、ちょっと心配になった。
見終わった後、ビデオを取り出すことなど、母に出来るはずがない。
母は、ビデオを見終わった後に、テレビを見れているだろうか。
母は、テレビを見れない状況になると、とても悲しそうになる。
母は、入力切替ボタンも認識できない人なのだ。
母は、ビデオが終わった後、
テレビが見れずに悲しんでいるかもしれない。
気になって、自宅から母の家に電話をかける。
「ビデオは見れたかい?ちゃんとそのあと、テレビを見れているかい?」
「なんだっていうんだい!
こまかいことを、ごちゃごちゃと!
でーきーてーまーすっ!!」
‥まさか怒られるとは思わなかった。
どうやら、チャンネルボタンを押すことで、
どこかのテレビ局に自動で切り替わり、
テレビが見れるようになっているらしい。
母は、
「見たいけど、時間がないけど、見たいけど」
と十年以上私にいい続けていることを、自覚していないらしい。
そして、十年以上(たぶん二十年以上)、
ビデオは停止できることや、
再生ボタンの場所や、
入力切替ボタンの場所を指差して、
「ここ。こーこ。」と教え続けてきたことを、
「何やらこまかいことをごちゃごちゃいわれてる」
くらいにしか認識していなかったらしい。
母は、電灯だってつけたり消したりできるし、
電子レンジだって使える。
テレビだって、チャンネルを変えることができる。
留守電を聞くことすらできるのだ。
それでも、母にとって、ビデオの再生ボタンを押したり、
入力切替ボタンを押すことは、
想像を絶するむずかしいことで、
それがあまりにもむずかしいがために、
そもそも出来ないこと自体を認識することができない、らしい。
なぜわからなくて、なぜできないのか、
いくらがんばっても、私には、理解できない。
理解できないのだ。
------------------------
今日、とあるインスタレーションの展示を見にいった。
電気的なインスタレーションなのだが、
見に行ってみると、スイッチが入っていない。
ほどなくして、赤ん坊を抱えた女性が現れる。
聞けば、展示している作家の奥様だという。
その、赤ん坊を抱えた奥様は何枚か紙片を持っていて、
「簡単だといわれて来たんですけど‥」
と困っておられる。
その紙を拝見すると、そのインスタレーションの、
設定変更のやり方らしき図が書いてある。
その、「これなら誰だってわかるでしょ?」
といわんばかりに書かれた図を見ると、
だいたい、奥様に、以下のような指令を出している、らしい。
「筐体を開いてある2台のVHSデッキに、
円環状に繋いであるVHSビデオテープを一旦はずし、
そのビデオカセットをそれぞれのデッキの脇にガムテープで留めよ。
そのあと、新たに用意した2本の改造VHSテープカセットを
ビデオデッキに設置し、
テープを手動でヘッドやリーダーに通して取り付け、
改造して開いたビデオテープ同士を、
スプライシングテープで貼り付け、
新たな円環テープとなるように取り付けよ。
2台のビデオデッキのテープスピードがずれると、
デッキが停止してしまうので気をつけよ。
簡単でしょ?できるでしょ?」
‥奥様に代わって、舟沢、やってみましたが、
できませんしでした。
むずかしすぎて、できません。
できませんよ。
------------------------
私たちは、
「これ以上簡単に言うことなんかできやしない」
と話すことをわかってもらえず、
「これ以上簡単に言うことなんかできやしない」
と話されることをわかることができない。
私(たち)は、このことを、生涯苦しむのかもしれない。
- [2011/06/06 23:45]
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