前回のライブ(元型ドローンVol,2」)について
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前回のライブについての、機材寄りの話ではない話。
派手な音に聴こえたろうと思う。
自分としても、派手な音に聴こえていた。
しかし、私としては、むしろ、
「空間と絵画と音の暴走的飛翔を抑制する」
ということにエネルギーを注いでいた。
つまりこの場合、音によって暴走的飛翔を始めたのは、
私ではなく、絵画や空間といった“外界”であって、
外界が音によって決壊し、
それを、音を出している当の舟沢自身が、
なんとか抑制していた、ということになる。
片手でダムに穴をあけ、
もう片方の手で放水量を調節するような行為。
こういった“空間の決壊”は、
ある種の舞踏公演などでは見たことがあるが、
自分としては、初めての経験であった。
なぜこういう文章を書くのかについては、いくつか理由がある。
まず、音楽について門外の人である我が禅師が、
「あのような鋭い音がどこから来ているのかと思ったが、
絵を見ているうちにわかったよ」
と仰せであったこと。
それに、ライブ後に、「今日は非常に良かったです」と
誉めて下さった舞踏家の方が、思い返せば、
“空間の決壊”を非常に多く引き起こす舞踏家先生の、
お弟子さんであったこと。
その方の師匠である舞踏家先生の著作を最近読んでいるのだが、
「魚が海を感じているのではなく、海が魚を感じている」
といった記述を見つけたこと。
つまり、うまく言葉にできないが、どうやら“空間の決壊”を得意とし、
空間を意図的に決壊・制御できるような舞踏家の方々が、
公演中に意識的に行なうことと、似たようなことが、
今回、意図せず自分の身に起きたらしいこと。
つまり、概ね、何が起きていたのかは、
その場に居合わせた方々には伝わっていたらしいし、
それはある種の人々にとっては自明なことだったり、
むしろ特技であったりするらしいこと。
だから、無用な釈明や理論武装になりはしないかという心配や、
必要以上の言葉の介入によって、
イメージの自由を妨げるようなことになりはしないかという心配は、
あまり必要がなかろうと思うに至ったこと。
その“空間の決壊”とでもいう現象は、
その種の現象が起きる舞踏公演と同様に、
その現象自体、メディアには、記録されない。
(舞踏に詳しい方ならば、ある種の舞踏公演に感銘を受けても、
それをうまく論理的に言葉にできないし、
動画で見返したら何も感じなかった、という経験をもつ方は多いと思う。)
------------------------
そんなわけで、私は今、
前回のライブの動画の編集に、四苦八苦している。
現場で起きていたことと、
動画に記録されているものが、
あまりにも違うのだ。
記録映像としても、映像作品としても、
おざなりにならないもの。
これが、今回、ことのほか難しい。
現在、最終調整に入っている。
派手な音に聴こえたろうと思う。
自分としても、派手な音に聴こえていた。
しかし、私としては、むしろ、
「空間と絵画と音の暴走的飛翔を抑制する」
ということにエネルギーを注いでいた。
つまりこの場合、音によって暴走的飛翔を始めたのは、
私ではなく、絵画や空間といった“外界”であって、
外界が音によって決壊し、
それを、音を出している当の舟沢自身が、
なんとか抑制していた、ということになる。
片手でダムに穴をあけ、
もう片方の手で放水量を調節するような行為。
こういった“空間の決壊”は、
ある種の舞踏公演などでは見たことがあるが、
自分としては、初めての経験であった。
なぜこういう文章を書くのかについては、いくつか理由がある。
まず、音楽について門外の人である我が禅師が、
「あのような鋭い音がどこから来ているのかと思ったが、
絵を見ているうちにわかったよ」
と仰せであったこと。
それに、ライブ後に、「今日は非常に良かったです」と
誉めて下さった舞踏家の方が、思い返せば、
“空間の決壊”を非常に多く引き起こす舞踏家先生の、
お弟子さんであったこと。
その方の師匠である舞踏家先生の著作を最近読んでいるのだが、
「魚が海を感じているのではなく、海が魚を感じている」
といった記述を見つけたこと。
つまり、うまく言葉にできないが、どうやら“空間の決壊”を得意とし、
空間を意図的に決壊・制御できるような舞踏家の方々が、
公演中に意識的に行なうことと、似たようなことが、
今回、意図せず自分の身に起きたらしいこと。
つまり、概ね、何が起きていたのかは、
その場に居合わせた方々には伝わっていたらしいし、
それはある種の人々にとっては自明なことだったり、
むしろ特技であったりするらしいこと。
だから、無用な釈明や理論武装になりはしないかという心配や、
必要以上の言葉の介入によって、
イメージの自由を妨げるようなことになりはしないかという心配は、
あまり必要がなかろうと思うに至ったこと。
その“空間の決壊”とでもいう現象は、
その種の現象が起きる舞踏公演と同様に、
その現象自体、メディアには、記録されない。
(舞踏に詳しい方ならば、ある種の舞踏公演に感銘を受けても、
それをうまく論理的に言葉にできないし、
動画で見返したら何も感じなかった、という経験をもつ方は多いと思う。)
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そんなわけで、私は今、
前回のライブの動画の編集に、四苦八苦している。
現場で起きていたことと、
動画に記録されているものが、
あまりにも違うのだ。
記録映像としても、映像作品としても、
おざなりにならないもの。
これが、今回、ことのほか難しい。
現在、最終調整に入っている。
- [2011/11/13 23:21]
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