行為でありうる 

最近の人々の言葉を見聞きしていると、
最近の多くの人々は、
読むとか、聴くといった行為を、
行為としてカウントしていないのではないか、
と思うことがある。
小説を読むことは読むこと自体が目的の積極的な行為でありうるし、
音楽を聴くことは聴くこと自体が目的の積極的な行為でありうる。
そうではない場合があるとしても、である。
最近、非常に多く目にするようになった言葉に、
「メディアは何らかの行動を行なうきっかけに過ぎない」
とでもいう言葉がある。
つまり、そのような人にとって、
このブログに書く「ライブのお知らせ」は意味がありうるけれど、
私がこのブログに詩を書いても、そこにいかなる意味が生じる可能性もない、ということになる。
そういう人を批判するつもりはない。
読むことや聴くことを、
積極的な行為と思わない、という考えの人もおられると思う。
それは、悪いことでもなんでもない。
(むしろ、数百数千の言葉を常時摂取しながら、
延々と行動なさっておられる昨今肩で風切る人々を、少し羨ましくすら思う。)

しかし、そういう人だけが許容される社会というのは、
一時的な流行であってほしい。
読むことや聴くことも、行為の一種でありうると、
私は思っている。

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