時は速い、私は遅い
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何事も遅い。
シンセの使い方を覚えて、
来る日も来る日もそのシンセと格闘して、
「このシンセでは自分の音は出ない。」
と結論を出すのに、
どうしても一年以上かかる。
そして、ものが多いと気分が悪くなる性格なので、
そういうシンセを売ったりあげたりしてしまう。
つまり一年くらい、平気で無駄になる。
シンセを何台買って何年徒労に終えたか、
累計にしたらひどいことになるはずだ。
だから、シンセの購入にも非常に慎重になる。
買おうかどうしようか悩んで、機能を調べ込んでいるうち、
次世代機が出たりする。
悩むことで節約できてるのは金と記憶力と部屋の面積くらいか。
「その音をその音として受け入れて使う」ということが、なかなか出来ない。
従来のシステムのままでやっていこうと思っても、
今までのシンセの維持だって時間とお金がかかる。機械は壊れるものなのだ。
コンピューターの世界も複雑さを増している。
ここ数年で、私の読書量は10分の1になり、
取扱説明書や、ソフトのドキュメントを読む時間は10倍になった。
詩は読むのに特別な時間と労力を要する。
去年の秋から読み始めた『八木幹夫詩集』、もうすぐ読み終わる。
もう一度頭から読み直したい気持ちもあるが、
読みたくて買ったまま読めずにいる本が山と積まれているので、
きっと当分は読み返さないのだろう。
年を取ると時間が早く流れる。
時間が空いたから、
こないだ買ったレコーディング雑誌の最新号を読もう、と思ったら、
すでに先月号になっていた。
“こないだ”が1ヶ月以上前なのだ。
書くのも遅い。
「ノイズから始まっている」だって、
実はあれでも10年以上暖めた体験と思考の結晶なのだ。
シュベンク著「カオスの自然学」なんかを読むと、もう驚くほかない。
俺って頭悪いなぁ、と自嘲してもみるが、
反面、意味のあるものを世に遺すというのは、
こういうことなのかもしれない、と思ったりもする。
5年ほど前から考えている文章がある。
先日、半分くらいまで一気に書いた。
またしばらく読み返しながら文章を考える。
できれば年内に書き上げたい。
シンセの使い方を覚えて、
来る日も来る日もそのシンセと格闘して、
「このシンセでは自分の音は出ない。」
と結論を出すのに、
どうしても一年以上かかる。
そして、ものが多いと気分が悪くなる性格なので、
そういうシンセを売ったりあげたりしてしまう。
つまり一年くらい、平気で無駄になる。
シンセを何台買って何年徒労に終えたか、
累計にしたらひどいことになるはずだ。
だから、シンセの購入にも非常に慎重になる。
買おうかどうしようか悩んで、機能を調べ込んでいるうち、
次世代機が出たりする。
悩むことで節約できてるのは金と記憶力と部屋の面積くらいか。
「その音をその音として受け入れて使う」ということが、なかなか出来ない。
従来のシステムのままでやっていこうと思っても、
今までのシンセの維持だって時間とお金がかかる。機械は壊れるものなのだ。
コンピューターの世界も複雑さを増している。
ここ数年で、私の読書量は10分の1になり、
取扱説明書や、ソフトのドキュメントを読む時間は10倍になった。
詩は読むのに特別な時間と労力を要する。
去年の秋から読み始めた『八木幹夫詩集』、もうすぐ読み終わる。
もう一度頭から読み直したい気持ちもあるが、
読みたくて買ったまま読めずにいる本が山と積まれているので、
きっと当分は読み返さないのだろう。
年を取ると時間が早く流れる。
時間が空いたから、
こないだ買ったレコーディング雑誌の最新号を読もう、と思ったら、
すでに先月号になっていた。
“こないだ”が1ヶ月以上前なのだ。
書くのも遅い。
「ノイズから始まっている」だって、
実はあれでも10年以上暖めた体験と思考の結晶なのだ。
シュベンク著「カオスの自然学」なんかを読むと、もう驚くほかない。
俺って頭悪いなぁ、と自嘲してもみるが、
反面、意味のあるものを世に遺すというのは、
こういうことなのかもしれない、と思ったりもする。
5年ほど前から考えている文章がある。
先日、半分くらいまで一気に書いた。
またしばらく読み返しながら文章を考える。
できれば年内に書き上げたい。
- [2006/01/20 10:27]
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