アルバム単位 

最近になってやっと自分で気づいたんだが、
私にとって、音楽の単位は、「枚」である。
LP、カセット、CD、いずれにしろ、
音楽作品というものを、
「アルバム単位」で認識していたのだ。

他人の作品でもそうだし、
自分の作品を作るならなおのこと、
音楽を作るということは私にとって、何年もかけて一曲一曲、
“アルバム”に定着させていく作業以外の何物でもない。

基本的に、「音楽する」という行為を、
「アルバムを作る」作業だと思って生きてきたし
(それも20年近くだ)、
アルバムを作ってる最中に舞踏公演などの仕事をいただけば、
制作途中のアルバムから公演に曲が行ったり、
逆に公演のイメージがアルバムのどこかに影を落としたりもする。
だから、アルバムにダンス公演などの曲を挿入したり、
ソロアルバムの曲がダンス公演に使用されたりする。
アルバム中心に生きているから、内的作業が入り混じるのだ。
幸いな事に、今までご一緒させていただいたダンサーさん達も、
そういう入り混じりを快諾して下さる方が殆どであった。

考えてみれば、アルバムという概念は、
絶対的なものでもなんでもない。
そして、急激に薄れつつある。
(完全になくなるのかどうかはまだ判らないけれど、
街のCDショップに行けばCDの売れ行きの落ち込みは明らかだ。
私自身、今年に入って既に2ヶ所のショップを失った。)

メジャーの人たちは、あらゆるフォーマットに対応し、
あらゆる販路を確保している。
小規模なレーベル会社は別だが、自主制作としてのインディーズには、
商品番号の登録すら煩悶の極みである。
CDを手で売るか、さもなきゃMP3を実費で無料配信するかしかない。
(逆にメジャーでは、在庫を抱えるリスクのある曲は配信だけだったりして、
大規模で多岐にわたる販路を持たないインディーズの人々のほうが、
CDしか作れないから高音質で自作を発表できる、という状況も目にするが。)

ライブが苦にならない人、むしろ好きな人などは、ライブをやる。
ただひたすらライブをやって、ロビーでCDを売る。
生演じゃなくても、ノートパソコンにWAVでも仕込んで、
何かやってるフリでも構わないのかもしれない。

ライブ主体に考えず、録音を主体に考える人は、
アルバムという概念の位置付けを下げつつあるように思う。
仕事をもらうため、自己紹介のため、名刺代わりに、
CDを配っている人もいるのだ。

無論、以上のような人々を批判するつもりは毛頭ない。
逆だ。
バート・バカラックはソロアルバムを28年作らずにいたし、
適応力のある人々は着々と居場所を確保しつつある。
それどころか、居場所を信じられないスピードで移動させ続けている。
私にできる芸当ではない。

―私はこれから、何を目指して音楽すればいいのだろう。

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