符合に気付いても 

毎日、眠くてだるくて仕方がない。
入れ替わり立ち代り顕われる体調不良。
こんな体調が何年続いているだろう。
もういいかげん、周囲もあきらめはじめている。
その上に、複数の身内の体調不良が重なって、
身動きがさらにしづらくなった上に、
時代の烈しい変化に晒されて目標も見えなくなり、
気力すら衰えてきてしまった。
気力を振り絞ってショップに挨拶に行っても、
取引打ち切りや売り場そのものの閉鎖を言い渡され、
返品伝票の整理で気力を使い切ってしまう。
まるっきり未来がない。

―こんなんじゃいかん。

そう思って、観ようとしていたダンス公演。
10年来、メールで知り合っているダンサーのソロ。

奇妙としか言いようのない知人。
一度も会ったことがない。メール以外で話したことがないのだ。
元々の話題は、ダンスというより、神秘学に関する話題だった。
そしたら、ダンスとも神秘学とも全く関係がなくて、
居住地域もまるでちがう、非常に身近な私の知人の、知人だった。
何の符号なのか皆目判らない。
だが、あの人の公演を観て、あの人に会えば、
何かの歯車が動き出すかもしれない。

そして10年ほどの時を経て、昨日、
その人のダンス公演を見る機会に恵まれた。
そしたら、一体どういうことなのか、
昨日、自宅で突如眠くなり、気を失ったように眠り、
目が覚めたら公演が終わっていた。
「観るな、会うな」という力でも働いているのか。

そして明日、私はどういうわけか、意図せずして、
別のダンサーさんの公演を2つハシゴで観ることになった。
こんなことは初めてだが、
友人がダンサーさんに引き合わせてくれるとの連絡が入った。
ありがたいことだ。でもなんでこうなった?
なぜ私は明日2つのダンス公演をハシゴで観ることになった?
思い出せない。

今日は勉強半分、遊び半分で、映画を2本観たが、
全く意図せず、どちらも“引越し”の話であった。
「引っ越したら幽霊がいた」映画と、「引っ越したら泥棒が入った」映画。
何の符合か皆目判らない。

観終わって、つい最近読み終わった「海辺のカフカ」を
ぼんやりと思い出していた。
登場人物の、四国の小さな図書館で働いている女性のことが、
読み終えてからもずっと心に引っかかっていたのだ。
夕方、ポストを見たら、封書の手紙が届いていた。
女性からのファンレターだった。
四国の小さな美術館で働いている方だそうだ。

色々なことが符合していく。
何かが符合していくということは、
まだ私の人生は終わっていないということかもしれない。

だが、シンクロニシティがここまで多いと、
もう何がなんだか判らない。
コンステレーションも皆目読めない。
ゆえに、今この瞬間、何をすべきなのか、
結局のところ、皆目判らない。

“神の沈黙”には慣れた。
せめて“神の目線”くらいは感じたい。

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