存在をやめることはできない
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昔の話をする。
1980年代の当時、すでにモノクロ映画は殆ど作られなくなっていた。
そして、映画よりテレビが、テレビよりビデオが、
ビデオでもビデオアートが、時代の最先端だったように思う。
そんな時代状況の中、私は映画の学校で勉強を始めた。
まず非常に驚いたのは、先生方が口になさる、
「映画に色彩は必要か」
という議論であった。
演劇の転用ではない、映画独自の表現技法というのは、
カラーフィルムが普及する前にすでに出来上がっている。
ならば何故、わざわざ色彩を使用するのか、
モノクロの方が映画の本質に迫れるのではないか、という議論が、
映画界ではまだ終わっていない、といったお話であった。
実際、学んでみれば色彩なしでも映画は成立するといえば成立するし、
敬愛するA・タルコフスキー監督のインタビューを読む機会に恵まれても、
インタビュアーが「え?ソラリスはカラーで撮るの?」と驚いたりしていて、
色彩というものを、当時の映画界全体が、いわば“副次的”に捉えていることはわかった。
(「惑星ソラリス」は70年代の映画ですが、私はそのインタビューを80年代に読みました。)
しかし、現実的にモノクロ映画の新作は殆ど存在しておらず、
モノクロ映画といえば過去の作品を「名画座」という安い映画館で観る時代だったので、
実際の生活実感と、「色彩は本来ならば映画に必要ない」という教えの齟齬に、
ずいぶんと悩み、苦労してその価値観を体に染みこませた記憶がある。
------------------------
「映画に音は必要か」という議論が存在すると知ったとき、
私は当初、それを無視することに決めた。
実際、同学年の学生に、
「音がなくても映画は成立する。カメラがなくては映画は成立しない。どうだ」
と得意げに演説する者が現れれば、その彼は総スカンを食らっていたし、
先生方も「サイレント映画からトーキー映画に移行する時代、そういう議論があった」
程度で、それほど深くはお話にならなかったと記憶している。
要するに、サイレント映画にも名作はあるのだから、
セリフを録音したり、効果音を入れたり、音楽を鳴らしたりするのは、
映画にとっては無用な付け足しなのではないか、
そういう議論が、かつてあったらしい。
実習で初年度に実際に自分で撮る映画は、
8mmフィルムによるサイレント映画であったが、
それは当時8mmフィルムに音を録音し、
それを編集するのが至難の業だったからだと記憶している。
(ビデオはまだフィルム以上に高価であった。)
つまり映画の作り方として、まずサイレントで映画の基本を学び、
音については追々学んでいくことにはなるが、
学生にはそれしか実質的に方法がないからであって、
現実には、セリフも効果音も音楽もない映画はもうありえない、
という感じに受け止めていた。
------------------------
ただ、学んでいくうちに身に染みて解ったのは、
カメラに比べて、マイクロフォンの立場は非常に低い、ということ。
カメラマンが「このアングルから撮る」と言えば、そこから撮る。
音声が「この位置から録音したいからカメラの位置を変えろ」、とは言えない。
これはまあ、当たり前といえば、当たり前である。
実際、B級映画などで、マイク、マイクの棹、それらの影が
カメラに映り込んでいるシーンを、私たち学生も他人事のように笑って眺めていたし、
徒弟の厳しさや職種の序列も理解した(つもりだった)ので、
まあ、粉骨砕身気配を消して、全身全霊隠れに隠れてマイクを向ければ、
何とかなるだろう、ぐらいに思っていた。
ただ、撮影実習などで、普段は友人である同学年のカメラマンに対して、
「映ってます?」とマイクが映っているかどうか声をかけた際、
見ていた先生が、
「それ、ほんとうの現場に行ったら、殴られてもクビになってもおかしくないからね。」
と小さな声で仰ったことは、強く印象に残っている。
メインのカメラマンに、音声ごときが声をかけるなどという、
そんな無礼な行為というのは、まあ現場にもよるだろうけど、
古いタイプの人々が働いてる現場だったら、
殴られたり、その場でクビになったりしてもおかしくないのだ、と。
音声からは画角なんか解らない。当時もちろんビデオのようにモニターがあるわけでもない。
だからカメラのショットに於けるマイクの最適位置は、
口頭で確認するしかない筈なのだが、
それでも無礼に当たるらしい、ということ。
そこで先生に食ってかかってもしょうがない。先生は現場の事を教えて下さっている。
第一、撮影助手や助監督の役割をしている学生達も、先生方から、
「基本的に君たちはファインダーをのぞけない。
ファインダーをのぞけるのは、カメラマンだけ。
現場によっては監督も撮影前にのぞくケースもあるけれど、
監督すら頻繁にはのぞけないものなんだからね」
と教えておられたので、音声の立場がどれほど低いかは自ずと解る。
仕方ない。粉骨砕身、全身全霊、気配を消して、いいマイクポジションを探すのみだ。
------------------------
そんな中、実際に現場で今でも映画のカメラをやっておられる方が、
講師として授業に来られることになった。
先生方も映画の現場で鍛えてこられた方々だったが、
今まさに現場でやっておられるカメラマンさんが、
我々学生達の現場を見て下さるという。
先生方は、緊張した面持ちで、
「決して失礼のないように」、と私たちに仰った。
------------------------
授業というか、実習の前後関係は、もう忘れてしまった。
非常に緊張して、全身全霊気配を消して、マイクを向けていたように思う。
非常に穏やかなその“現役”のカメラマンの先生が、私たち音声班のことを、
「トーキーさん」
と呼んだのだ。
「トーキーさんねぇ、こういう場合はこっち側から録って。」
「トーキーさん、もっと後ろね。」
―今、この歳になって思い返せば、
ただ単に習慣的な用語だったとも思えるし、
当時のその先生の年代と当時の時代を逆算してみると、
その先生が青春を送られたのは20世紀中盤、或いは前半であろうから、
その先生に基本を叩き込んだ、そのまた先生に当たる方々が、
音声を「トーキー」と呼んでいた事ぐらいは、
なんとなく想像がつく。
だが、当時、全身に緊張をみなぎらせ、
全身全霊で「カメラさんに話しかけるのは失礼に当たる」と教わり、
全身全霊で気配を消していた学生の私としては、
この「トーキーさん」という呼び方を、
「君達は本当はいらない人間なのだ」
という意味に受け取った。
音声を録るためにはマイクを向けなければならない。
そのマイクの位置は、決してカメラに影響を与えてはならない。
そのマイクも、そのマイクの棹も、その腕も、その全存在も、その影も、
どんなことがあっても映り込んではならない。
自分が映っているかどうか、自分で確かめる方法は、ない。
ファインダーをのぞくことも、映っているかどうか尋ねることも、
決してやってはならない。
その上で、どんなことがあっても、
「自分は本来ならば、そこに必要ではない人間なのだ。
音なんかなくても、映画は存在しうるのだから。
自分たちは本来、必要とされていない仕事をやらせてもらっているのだ、
という自覚を、決して忘れないように。
その上で、本来なら必要のない、そのマイクを向けるように。」
そういう教えに響いた。
とても優しく自然な、しかし決然とした、
「トーキーさん。」
という呼び声は、雷鳴のように私の全存在に響き渡った。
------------------------
昭和の昔の話なので、記憶に若干、曖昧な点もある。
第一、この大学生時代は、
私の人生にとって、その前後が信じられないくらい、
華やいだ時代であった。
今になって、この華やいだ時代に受けた数少ないこの衝撃を思い返すに、
結局、人間というのは、
存在することをやめることはできない、ということだ。
全身全霊、気配を消すことはできる。
だが仮に、唯物的な立場に立ったっとしても、
その場で死んだって、死体ぐらいは残るはずだ。
影に隠れることはできる。
頭を下げることも、まあできる。
気配を殺すことだって、できる。
場合によっては、死ぬことだって、できる、かもしれない。
だが、存在すること自体を、やめることは、できない。
------------------------
それから、本当に色々な経験をした。
私の人生における、極限の体験というのは、しばしば、
「存在することをやめろ」という言葉に対する反応だったような気もしてくる。
過酷な労働の帰り道、電車の中で、立っていることはおろか、
座席に座っていることすらできず、かといって横になるわけにもいかず、
座席に座ったまま上体を前に倒し、
自分の膝に突っ伏して床に頽れないよう耐えている私に向かって、
「あんなのはねえ!死ねっていうの!
戦争中はあんなのはみんな死んでたんだぁ!」
と私を指さしながらはしゃぎつつ若い女性をナンパしてる老人。
デジタル時代に入って、
著作権も肖像権も決して侵害しない画像の素材を撮るために、
ひたすらコンクリートの地面の文様を撮影している最中に駆け寄ってきて、
「あなた!私のこと撮ってるでしょ!
人間には肖像権があるの!」と叫びはじめ、
言葉で説明しても、デジタルカメラの中身をあけすけに見せても、
「しょうぞうけん!しょうぞうけん!人間には肖像権があるのぉっ!」
と叫び続けた中年女性。
いつだって、極限まで切り詰めた自分の全存在に対して、
それ以下を高らかに要求する声に対する、
「存在することを、やめることは、できない。」
という、爆発のような思いが、私を貫いてきたような気がする。
(それよりも遙かに過酷な経験をしているが、それについては割愛する。)
------------------------
私もずいぶんと歳を取った。
だが、この先、まだ何やら、色々と経験をしなければならなさそうな気がする。
十代の様々な経験の上に、上記のような、
「カメラに写ってはならない、存在を消さなければならない」という“しつけ”が加わり、
もう数十年に亘って、本能的にカメラを避けるように生きてきたが、
時代は変わり、一日中自分を撮影して不特定多数に見てもらい続ける人々すら、
存在して当然という時代空気になった。
そして、記念撮影を強要されることも増えてきた。
撮影する側は、もはや、
「どんなことがあってもカメラに写ってはならない」というしつけを受けて、
そのままこの歳まで生きてる人間がいるとは思わないらしい。
とりあえず、おそらくは20代まで苦しんだ喘息とも関係している、
ストレスによって分泌されているであろう「ヒスタミン」によるものだろうが、
記念撮影を受けるとしばしば蕁麻疹が出て、
両腕が真っ赤に腫れ上がる。
時代が時代だ。少しずつ、カメラに「曝される」ことに慣れていかなければ、
と思い始めている。
喘息で言う「減感作」のようなもの。
育った環境や人生経験、そして受けたしつけや教育が、
「有色人種は劣っている」とか「女性は劣っている」でなくてよかった。
そういう教育を受けた人々が苦しみながら人生後半に時代の変化に対応するように、
私は非常にゆっくりと、少しずつ、まさに「減感作療法」のように、
カメラに映る、ということに慣れていかなければならないらしい。
------------------------
カメラを向けられたら、黙ってカメラに写って存在を示すことが、
「存在をやめることはできない」という表明になるのか、
「カメラは苦手なのです」と率直に意思表示してカメラに写らないことが、
「存在をやめることはできない」という表明になるのか、
かなり考えても、解らない。
いずれにせよ、誰が何と言おうと、
「存在をやめることはできない」、ということだ。
「コラ影が映ってんぞ!」、と怒鳴られようが、
「ハーイ笑ってー!あれあれ~?どうして笑わないのかなぁ~?」とカメラを向けられようが、
どっちにしたって、
存在をやめることは、できません。
1980年代の当時、すでにモノクロ映画は殆ど作られなくなっていた。
そして、映画よりテレビが、テレビよりビデオが、
ビデオでもビデオアートが、時代の最先端だったように思う。
そんな時代状況の中、私は映画の学校で勉強を始めた。
まず非常に驚いたのは、先生方が口になさる、
「映画に色彩は必要か」
という議論であった。
演劇の転用ではない、映画独自の表現技法というのは、
カラーフィルムが普及する前にすでに出来上がっている。
ならば何故、わざわざ色彩を使用するのか、
モノクロの方が映画の本質に迫れるのではないか、という議論が、
映画界ではまだ終わっていない、といったお話であった。
実際、学んでみれば色彩なしでも映画は成立するといえば成立するし、
敬愛するA・タルコフスキー監督のインタビューを読む機会に恵まれても、
インタビュアーが「え?ソラリスはカラーで撮るの?」と驚いたりしていて、
色彩というものを、当時の映画界全体が、いわば“副次的”に捉えていることはわかった。
(「惑星ソラリス」は70年代の映画ですが、私はそのインタビューを80年代に読みました。)
しかし、現実的にモノクロ映画の新作は殆ど存在しておらず、
モノクロ映画といえば過去の作品を「名画座」という安い映画館で観る時代だったので、
実際の生活実感と、「色彩は本来ならば映画に必要ない」という教えの齟齬に、
ずいぶんと悩み、苦労してその価値観を体に染みこませた記憶がある。
------------------------
「映画に音は必要か」という議論が存在すると知ったとき、
私は当初、それを無視することに決めた。
実際、同学年の学生に、
「音がなくても映画は成立する。カメラがなくては映画は成立しない。どうだ」
と得意げに演説する者が現れれば、その彼は総スカンを食らっていたし、
先生方も「サイレント映画からトーキー映画に移行する時代、そういう議論があった」
程度で、それほど深くはお話にならなかったと記憶している。
要するに、サイレント映画にも名作はあるのだから、
セリフを録音したり、効果音を入れたり、音楽を鳴らしたりするのは、
映画にとっては無用な付け足しなのではないか、
そういう議論が、かつてあったらしい。
実習で初年度に実際に自分で撮る映画は、
8mmフィルムによるサイレント映画であったが、
それは当時8mmフィルムに音を録音し、
それを編集するのが至難の業だったからだと記憶している。
(ビデオはまだフィルム以上に高価であった。)
つまり映画の作り方として、まずサイレントで映画の基本を学び、
音については追々学んでいくことにはなるが、
学生にはそれしか実質的に方法がないからであって、
現実には、セリフも効果音も音楽もない映画はもうありえない、
という感じに受け止めていた。
------------------------
ただ、学んでいくうちに身に染みて解ったのは、
カメラに比べて、マイクロフォンの立場は非常に低い、ということ。
カメラマンが「このアングルから撮る」と言えば、そこから撮る。
音声が「この位置から録音したいからカメラの位置を変えろ」、とは言えない。
これはまあ、当たり前といえば、当たり前である。
実際、B級映画などで、マイク、マイクの棹、それらの影が
カメラに映り込んでいるシーンを、私たち学生も他人事のように笑って眺めていたし、
徒弟の厳しさや職種の序列も理解した(つもりだった)ので、
まあ、粉骨砕身気配を消して、全身全霊隠れに隠れてマイクを向ければ、
何とかなるだろう、ぐらいに思っていた。
ただ、撮影実習などで、普段は友人である同学年のカメラマンに対して、
「映ってます?」とマイクが映っているかどうか声をかけた際、
見ていた先生が、
「それ、ほんとうの現場に行ったら、殴られてもクビになってもおかしくないからね。」
と小さな声で仰ったことは、強く印象に残っている。
メインのカメラマンに、音声ごときが声をかけるなどという、
そんな無礼な行為というのは、まあ現場にもよるだろうけど、
古いタイプの人々が働いてる現場だったら、
殴られたり、その場でクビになったりしてもおかしくないのだ、と。
音声からは画角なんか解らない。当時もちろんビデオのようにモニターがあるわけでもない。
だからカメラのショットに於けるマイクの最適位置は、
口頭で確認するしかない筈なのだが、
それでも無礼に当たるらしい、ということ。
そこで先生に食ってかかってもしょうがない。先生は現場の事を教えて下さっている。
第一、撮影助手や助監督の役割をしている学生達も、先生方から、
「基本的に君たちはファインダーをのぞけない。
ファインダーをのぞけるのは、カメラマンだけ。
現場によっては監督も撮影前にのぞくケースもあるけれど、
監督すら頻繁にはのぞけないものなんだからね」
と教えておられたので、音声の立場がどれほど低いかは自ずと解る。
仕方ない。粉骨砕身、全身全霊、気配を消して、いいマイクポジションを探すのみだ。
------------------------
そんな中、実際に現場で今でも映画のカメラをやっておられる方が、
講師として授業に来られることになった。
先生方も映画の現場で鍛えてこられた方々だったが、
今まさに現場でやっておられるカメラマンさんが、
我々学生達の現場を見て下さるという。
先生方は、緊張した面持ちで、
「決して失礼のないように」、と私たちに仰った。
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授業というか、実習の前後関係は、もう忘れてしまった。
非常に緊張して、全身全霊気配を消して、マイクを向けていたように思う。
非常に穏やかなその“現役”のカメラマンの先生が、私たち音声班のことを、
「トーキーさん」
と呼んだのだ。
「トーキーさんねぇ、こういう場合はこっち側から録って。」
「トーキーさん、もっと後ろね。」
―今、この歳になって思い返せば、
ただ単に習慣的な用語だったとも思えるし、
当時のその先生の年代と当時の時代を逆算してみると、
その先生が青春を送られたのは20世紀中盤、或いは前半であろうから、
その先生に基本を叩き込んだ、そのまた先生に当たる方々が、
音声を「トーキー」と呼んでいた事ぐらいは、
なんとなく想像がつく。
だが、当時、全身に緊張をみなぎらせ、
全身全霊で「カメラさんに話しかけるのは失礼に当たる」と教わり、
全身全霊で気配を消していた学生の私としては、
この「トーキーさん」という呼び方を、
「君達は本当はいらない人間なのだ」
という意味に受け取った。
音声を録るためにはマイクを向けなければならない。
そのマイクの位置は、決してカメラに影響を与えてはならない。
そのマイクも、そのマイクの棹も、その腕も、その全存在も、その影も、
どんなことがあっても映り込んではならない。
自分が映っているかどうか、自分で確かめる方法は、ない。
ファインダーをのぞくことも、映っているかどうか尋ねることも、
決してやってはならない。
その上で、どんなことがあっても、
「自分は本来ならば、そこに必要ではない人間なのだ。
音なんかなくても、映画は存在しうるのだから。
自分たちは本来、必要とされていない仕事をやらせてもらっているのだ、
という自覚を、決して忘れないように。
その上で、本来なら必要のない、そのマイクを向けるように。」
そういう教えに響いた。
とても優しく自然な、しかし決然とした、
「トーキーさん。」
という呼び声は、雷鳴のように私の全存在に響き渡った。
------------------------
昭和の昔の話なので、記憶に若干、曖昧な点もある。
第一、この大学生時代は、
私の人生にとって、その前後が信じられないくらい、
華やいだ時代であった。
今になって、この華やいだ時代に受けた数少ないこの衝撃を思い返すに、
結局、人間というのは、
存在することをやめることはできない、ということだ。
全身全霊、気配を消すことはできる。
だが仮に、唯物的な立場に立ったっとしても、
その場で死んだって、死体ぐらいは残るはずだ。
影に隠れることはできる。
頭を下げることも、まあできる。
気配を殺すことだって、できる。
場合によっては、死ぬことだって、できる、かもしれない。
だが、存在すること自体を、やめることは、できない。
------------------------
それから、本当に色々な経験をした。
私の人生における、極限の体験というのは、しばしば、
「存在することをやめろ」という言葉に対する反応だったような気もしてくる。
過酷な労働の帰り道、電車の中で、立っていることはおろか、
座席に座っていることすらできず、かといって横になるわけにもいかず、
座席に座ったまま上体を前に倒し、
自分の膝に突っ伏して床に頽れないよう耐えている私に向かって、
「あんなのはねえ!死ねっていうの!
戦争中はあんなのはみんな死んでたんだぁ!」
と私を指さしながらはしゃぎつつ若い女性をナンパしてる老人。
デジタル時代に入って、
著作権も肖像権も決して侵害しない画像の素材を撮るために、
ひたすらコンクリートの地面の文様を撮影している最中に駆け寄ってきて、
「あなた!私のこと撮ってるでしょ!
人間には肖像権があるの!」と叫びはじめ、
言葉で説明しても、デジタルカメラの中身をあけすけに見せても、
「しょうぞうけん!しょうぞうけん!人間には肖像権があるのぉっ!」
と叫び続けた中年女性。
いつだって、極限まで切り詰めた自分の全存在に対して、
それ以下を高らかに要求する声に対する、
「存在することを、やめることは、できない。」
という、爆発のような思いが、私を貫いてきたような気がする。
(それよりも遙かに過酷な経験をしているが、それについては割愛する。)
------------------------
私もずいぶんと歳を取った。
だが、この先、まだ何やら、色々と経験をしなければならなさそうな気がする。
十代の様々な経験の上に、上記のような、
「カメラに写ってはならない、存在を消さなければならない」という“しつけ”が加わり、
もう数十年に亘って、本能的にカメラを避けるように生きてきたが、
時代は変わり、一日中自分を撮影して不特定多数に見てもらい続ける人々すら、
存在して当然という時代空気になった。
そして、記念撮影を強要されることも増えてきた。
撮影する側は、もはや、
「どんなことがあってもカメラに写ってはならない」というしつけを受けて、
そのままこの歳まで生きてる人間がいるとは思わないらしい。
とりあえず、おそらくは20代まで苦しんだ喘息とも関係している、
ストレスによって分泌されているであろう「ヒスタミン」によるものだろうが、
記念撮影を受けるとしばしば蕁麻疹が出て、
両腕が真っ赤に腫れ上がる。
時代が時代だ。少しずつ、カメラに「曝される」ことに慣れていかなければ、
と思い始めている。
喘息で言う「減感作」のようなもの。
育った環境や人生経験、そして受けたしつけや教育が、
「有色人種は劣っている」とか「女性は劣っている」でなくてよかった。
そういう教育を受けた人々が苦しみながら人生後半に時代の変化に対応するように、
私は非常にゆっくりと、少しずつ、まさに「減感作療法」のように、
カメラに映る、ということに慣れていかなければならないらしい。
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カメラを向けられたら、黙ってカメラに写って存在を示すことが、
「存在をやめることはできない」という表明になるのか、
「カメラは苦手なのです」と率直に意思表示してカメラに写らないことが、
「存在をやめることはできない」という表明になるのか、
かなり考えても、解らない。
いずれにせよ、誰が何と言おうと、
「存在をやめることはできない」、ということだ。
「コラ影が映ってんぞ!」、と怒鳴られようが、
「ハーイ笑ってー!あれあれ~?どうして笑わないのかなぁ~?」とカメラを向けられようが、
どっちにしたって、
存在をやめることは、できません。
- [2017/08/04 01:34]
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