無常過多 

生きてるうちに、
何度も死ぬ。
何度も何度も殺される。

気づくと生き返っている。
またはじめから、
歩きかたをころびながら憶え、
話しかたをつっかえながら憶え、
食べかたを、生きかたを、働きかたを憶える。
そこでまた死ぬ。成長はない。
労苦のプロセスそれ自体も、魂の成長に関係がない。
ただひたすらマイナスからゼロを目指す。それだけ。
決して何かの力がつくことではない。
意味のある経験とは思えない。

そしてまた死ぬ。志半ばで殺される。
そしてまた、なにもかもやり直す。

明治時代に入って、福沢諭吉は、
「まるで人生が2度あったようだ」と述懐したそうだが、

今この時代を生きるということは、一体どういうことなのか。
かつてこれほどまでの時代があったのか。

文明の末期とはこういうものだ、という学者もいるが、
ちと多すぎやしないか。

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