こっちが普通なのかもしれない
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非常時が日常化してきた。
第一次世界大戦が1914~、
スペイン風邪が1918~、
関東大震災が1923、
世界恐慌が1929~。(以上wiki調べ)
こうしてみると100年前より、
戦争がないだけ、ちょっとましなのか。
そう考えると、
自力ではどうすることもできないこと、
想像を絶したことというのは、
ある方がむしろ普通なのかもしれない。
------------------------
想像を絶したことに備えるのは難しい。
てゆうか想像を絶しているのだから、備えようがない。
想像を絶したことが、
次から次へと降りかかりながら、
困りながら生きて、困りながら死んでいく、
そっちの方が普通なのかもしれないということ。
そうかといって、こっちが普通だと思って、
困るのをやめるわけにもいかない。
そうかといって、1999の頃、ニュース番組に出てきた人々のように、
シェルターを買ったり(ノストラダムス)、
荒野の一軒家に移り住んだり(2000年問題)、
あんな風に備えるのも、無理そうだ。
金銭的にももちろんだが、荒野の一軒家に移り住んだら、
病院だって遠くなる。それでは病気の備えがおろそかになる。
そんなことを考えている間にも、
次から次へと、思いもよらない困ったことは、
起こり続ける。
------------------------
曲を作ってる最中にOSがおかしくなると、
本当に惨憺たる気持ちになる。
こういう気持ちが、貴族的なものなのかどうか。
身分制のあった時代、
和歌がうまく詠めずに苦しんでいた貴族や武士にとって、
飢饉はどのようなものだったろう。
ドラマなどでは無関心そうに描かれることが多いが、
やっぱり、和歌がうまく詠めないことと、
食べ物が減っていくことを同時に苦しんだのではないか、
そんな人もおられたのではないか、と想像をめぐらせる。
パソコンを持ってること自体、音楽を作ってること自体、人類全体(時間軸も含む)からすれば貴族的なのではないか。
当人は自暴自棄寸前になってるが。
------------------------
次の時代がどうなるのか、
想像するのは難しい。
いま現在、何がどうなってるのかだって、
想像するのは難しい。
じつは、この困った状態こそが、
次の時代なのかもしれない。
------------------------
100年、という時間をどう考えるか。
若い頃は、夏目漱石の「夢十夜」を読んで、
100年という時間を「途方もない長さ」と感じていた。
50を過ぎた時に、「あれ?これの倍?」と思った。
自分には、“途方もない長さの半分を生きた”、という実感はない。
高島忠夫という人が50代にリリースした「人生まだ半分」というレコードを、
かつてテレビで“変なレコード”として取り上げてゲラゲラ笑っていたタレントさんたちだって、まだまだ現役だ。
と同時に、100まで生きるのを想定するのが当たり前、
という風潮が世界中に流れ出した。
人生の大抵のことは片付かない、
その様子を達観しつつ描写した晩年の夏目漱石著「道草」。
晩年といったって、没年が49。道草は死の前年に発表されている。
その倍ある時代が来るとは、漱石先生だって思わなかったろう。
------------------------
メルカリやるか、noteやるか、インスタやるか、
意味あるかな、と悩む。
アカウントが増えるのが負担なのだ。
古いSNSを閉じたり、
このブログをやめたりする気にもなれない。
(メルカリってヤフオクに定額で出すのとどう違うのか、
noteってこのブログにpaypalのおひねりリンクを出すのとどう違うのか、
試したいならアカウントを作るしかないのだが)
何のためにそれらをやろうか悩むのか、と自問するに、
ブログという形式が古いからとか、マネタイズをどうしようとか、
なんというか、資本主義的な発想が自分に根を張っていることがわかる。
そういうのにそこそこ抗って生きてきたような気がするのだが、
20世紀の資本主義国家に生まれ育った以上、限界があるのだろう。(社会主義国家に生まれなかっただけでも多少ましだと思わなければ)
では、ポストモダンが本気出した1990年代後半以降に生まれた人々はどう行動しておられるのか、訊いてみたり観察したりしてみたい気持ちも出てくるが、この気持ち自体が資本主義的発想から抜け出ていない、ともいえる。情けない。
悩んでるだけでもう、眼精疲労と腰痛で限界が来る。
そうこうしてるうちに、思いもしなかった事態は次々新たにやってきて、パソコンのOSすらおかしくなる。
貴族に飢饉が来るように。
------------------------
さて困った。
困ったけど、困るのが普通、か。
こまったなぁ。
第一次世界大戦が1914~、
スペイン風邪が1918~、
関東大震災が1923、
世界恐慌が1929~。(以上wiki調べ)
こうしてみると100年前より、
戦争がないだけ、ちょっとましなのか。
そう考えると、
自力ではどうすることもできないこと、
想像を絶したことというのは、
ある方がむしろ普通なのかもしれない。
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想像を絶したことに備えるのは難しい。
てゆうか想像を絶しているのだから、備えようがない。
想像を絶したことが、
次から次へと降りかかりながら、
困りながら生きて、困りながら死んでいく、
そっちの方が普通なのかもしれないということ。
そうかといって、こっちが普通だと思って、
困るのをやめるわけにもいかない。
そうかといって、1999の頃、ニュース番組に出てきた人々のように、
シェルターを買ったり(ノストラダムス)、
荒野の一軒家に移り住んだり(2000年問題)、
あんな風に備えるのも、無理そうだ。
金銭的にももちろんだが、荒野の一軒家に移り住んだら、
病院だって遠くなる。それでは病気の備えがおろそかになる。
そんなことを考えている間にも、
次から次へと、思いもよらない困ったことは、
起こり続ける。
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曲を作ってる最中にOSがおかしくなると、
本当に惨憺たる気持ちになる。
こういう気持ちが、貴族的なものなのかどうか。
身分制のあった時代、
和歌がうまく詠めずに苦しんでいた貴族や武士にとって、
飢饉はどのようなものだったろう。
ドラマなどでは無関心そうに描かれることが多いが、
やっぱり、和歌がうまく詠めないことと、
食べ物が減っていくことを同時に苦しんだのではないか、
そんな人もおられたのではないか、と想像をめぐらせる。
パソコンを持ってること自体、音楽を作ってること自体、人類全体(時間軸も含む)からすれば貴族的なのではないか。
当人は自暴自棄寸前になってるが。
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次の時代がどうなるのか、
想像するのは難しい。
いま現在、何がどうなってるのかだって、
想像するのは難しい。
じつは、この困った状態こそが、
次の時代なのかもしれない。
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100年、という時間をどう考えるか。
若い頃は、夏目漱石の「夢十夜」を読んで、
100年という時間を「途方もない長さ」と感じていた。
50を過ぎた時に、「あれ?これの倍?」と思った。
自分には、“途方もない長さの半分を生きた”、という実感はない。
高島忠夫という人が50代にリリースした「人生まだ半分」というレコードを、
かつてテレビで“変なレコード”として取り上げてゲラゲラ笑っていたタレントさんたちだって、まだまだ現役だ。
と同時に、100まで生きるのを想定するのが当たり前、
という風潮が世界中に流れ出した。
人生の大抵のことは片付かない、
その様子を達観しつつ描写した晩年の夏目漱石著「道草」。
晩年といったって、没年が49。道草は死の前年に発表されている。
その倍ある時代が来るとは、漱石先生だって思わなかったろう。
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メルカリやるか、noteやるか、インスタやるか、
意味あるかな、と悩む。
アカウントが増えるのが負担なのだ。
古いSNSを閉じたり、
このブログをやめたりする気にもなれない。
(メルカリってヤフオクに定額で出すのとどう違うのか、
noteってこのブログにpaypalのおひねりリンクを出すのとどう違うのか、
試したいならアカウントを作るしかないのだが)
何のためにそれらをやろうか悩むのか、と自問するに、
ブログという形式が古いからとか、マネタイズをどうしようとか、
なんというか、資本主義的な発想が自分に根を張っていることがわかる。
そういうのにそこそこ抗って生きてきたような気がするのだが、
20世紀の資本主義国家に生まれ育った以上、限界があるのだろう。(社会主義国家に生まれなかっただけでも多少ましだと思わなければ)
では、ポストモダンが本気出した1990年代後半以降に生まれた人々はどう行動しておられるのか、訊いてみたり観察したりしてみたい気持ちも出てくるが、この気持ち自体が資本主義的発想から抜け出ていない、ともいえる。情けない。
悩んでるだけでもう、眼精疲労と腰痛で限界が来る。
そうこうしてるうちに、思いもしなかった事態は次々新たにやってきて、パソコンのOSすらおかしくなる。
貴族に飢饉が来るように。
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さて困った。
困ったけど、困るのが普通、か。
こまったなぁ。
- [2020/09/11 23:56]
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