断片:多忙、運命、阿頼耶識 

こんなに忙しいことは人生で何度もないかもしれない。
いや、作業量としてはこのぐらいのことは過去にもあったが、
加齢が加わると、体感が違う。
休み休み、やるしかない。

休んでいる最中も、いろんなことを考える。
考えていたら休んでいることにならないのだが、
脳は昏い意識の中で、思考を続けている。

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心理学で言うと、
個人的無意識のさらに下に、
集合的無意識があるのだそうだ。
なるほど、そうだろうな、と思う。

仏教では、阿頼耶識(あらやしき)という概念があって、
通常の無意識のさらに下にあるもので、
私たちの行い、すなわちカルマ(業・運命)が集積しているという。
なるほど、そういうものか、と思う。

集合的無意識は阿頼耶識か、と考えると、
まあ、そりゃそうだろうな、と思う。

ところが、
集合的無意識は私たちのカルマだ、と考えると、
そんなことってあるのか、
と、骨が震えるほどの驚きに体が満たされる。

どうしても治らないものやひと、
どうしても学べないものやひと、
どうしても改善できない関係、
わからないということがわからないあまたのひとやものごと、
それらがすべて普遍的なものであって、
なおかつ、それらは行いであり、それがカルマだなんて、
そんなもの解消できるわけがないじゃないか、
運命として受け入れられるわけがないじゃないか、
そう思って、呆然としてしまう。

これに、ノヴァーリスの、
「運命と心情は同一の概念だ」
という言葉を加えると、
呆然すら通り越して、
私の思考は停止する。

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そのようにしてしばらく体を横たえ、
多忙な生活に戻っていく。

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