政治フォルム 

アンゼルム・キーファーがナチスを題材に作品を発表したとき、
世界中でちょっとした騒ぎになったと聞いたことがある。

意味を剥ぎ取られたフォルムであっても、危ないものは危ない。
そういう時代だった。

最近思うんだが、
軍国主義を標榜したり、ナチズムや帝国主義のポーズを取ってるバンド。
(特にノイズミュージックに多い)
ああいう人たちは、今後も、大丈夫なんだろうか
これからも、ポーズやファッションです、で済ませ続けられるんだろうか。
まさか“フォルム以上の意味”でやってるわけではあるまい。
私には、彼らがギターを銃に持ち替えて嬉々として出征するとは思えない。

殺人事件ばかり起きて、家族や友人がどんどん殺されてくような地域があったら、そこで連続殺人事件のサスペンスドラマを放映したら、ひどい顰蹙を買うと思う。
―それと同じことだ。(こういう書き方で判っていただけるだろうか。)

国内ばかりの話ではない。
難しい話をする必要もない。
最早あたりまえのことだが、
私がこうして書いているパソコンの材料や電力と、
あなたがそうして読んでいる装置の材料や電力と、
名前を言われても何処にあるかもよく判らない国の戦争と、
地球の裏側の瓦礫の下やテントの中で死んでいく人々と、
無関係ではない
(もっとも最近は、戦争を「戦闘状態」とか、「軍事行動」とか、
国によっては「平和維持活動」とか、様々な呼び方で呼ぶようだが。)

どうすることもできないが、だからって開き直ることもできない。

しかも具合の悪いことに、20世紀後半の日本生まれの人間としては、
「平和の大切さ、命の大切さ、平和の尊さ、命の尊さ」
と繰り返し繰り返し言われ続ける窮屈さも知ってしまっている。
軍国主義を叫びながら爆音ノイズでも出さんとその窮屈さを払拭できない、なんていう人が多少出てきてもおかしくない。

開き直るわけには行かないが、さしあたってどうすることもできない。

話を元に戻すと、
軍国主義を標榜したり、ナチズムや帝国主義のポーズを取ってるバンド。
ああいう人たちは、今後も、ポーズです、ファッションです、
で済み続けられるんだろうか。
いろいろなところで自由が密かに侵食されているというのに

‥などと書いていたら、私が尊敬している数少ないご健在の方、
ユング派カウンセラー、数年前から文化庁長官に就任し、
精神と政治の狭間で苦闘していた河合隼雄先生が、
脳梗塞で意識不明との知らせが入った‥
‥‥虫の知らせだったろうか‥‥‥


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こんなことを書くのは、myspaceをはじめたのがきっかけ。
以前から「いい音出す人だなぁ」と感心していた人(日本人)が、
myspaceに登録したのを発見したから。
friend request(通称フレリク)出そうかと思ったんだが、
その人ははっきりと国粋主義、軍国主義を標榜していて、
画像も軍国主義時代の日本を想起させるものを使用している。
myspaceは英語のSNSだ。地球上のどこのだれでも目に触れる。
私の「フレンド」にも、メキシコ人や中国人やラトヴィア人がいる。
イスラエル人だってクウェート人だって韓国人だって見てるはずだ。
そう思うと、ちょっとフレリクが出せない。
芸術家が「内的必然性」に従っているなら、私にどうこう言う資格などあるはずないが、
私にはもはや、政治フォルムがフォルムとしてのみ認識されるとは、思えないのだ。

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